・・・「人を殺したって、物盗りの女房になったって、する気でしたんでなければ仕方がないやね。」 青侍は、扇を帯へさしながら、立上った。翁も、もう提の水で、泥にまみれた手を洗っている――二人とも、どうやら、暮れてゆく春の日と、相手の心もちとに・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・あすこの嚊は子種をよそから貰ってでもいるんだろうと農場の若い者などが寄ると戯談を言い合った。女房と言うのは体のがっしりした酒喰いの女だった。大人数なために稼いでも稼いでも貧乏しているので、だらしのない汚い風はしていたが、その顔付きは割合に整・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・永い間女房を擲って居た。そうしてたった一週間前に買って遣った頭に被る新しい巾を引き裂いた。 それからこの犬は人間というものを信用しなくなって、人が呼んで摩ろうとすると、尾を股の間へ挿んで逃げた。時々はまた怒って人間に飛付いて噛もうとした・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・ これはあるじの国許から、五ツになる男の児を伴うて、この度上京、しばらくここに逗留している、お民といって縁続き、一蒔絵師の女房である。 階下で添乳をしていたらしい、色はくすんだが艶のある、藍と紺、縦縞の南部の袷、黒繻子の襟のなり、ふ・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・わりあいに顔のはば広く、目の細いところ、土佐絵などによく見る古代女房の顔をほんものに見る心持ちがした。富士のふもと野の霜枯れをたずねてきて、さびしい宿屋に天平式美人を見る、おおいにゆかいであった。 娘は、お中食のしたくいたしましょうかと・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・弟の亀丸も女房をもらってもよい時だけれ共姉がそんな女なので云い込む人もなくて立って居た所が亀丸はとうとう病気になって二十三で死んでしまった。二人の親も世間に見せるかおがないと云って家の中に許り入って居たけれ共とうとう悔死、さぞ口惜しい事だっ・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・と、奥へ注意してから、「女房は弱いし、餓鬼は毎日泣きおる、これも困るさかいなア。」「それはお互いのことだア。ね」と、僕が答えるとたん、から紙が開いて、細君が熱そうなお燗を持って出て来たが、大津生れの愛嬌者だけに、「えろうお気の毒さま・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・今なら重婚であるが、その頃は門並が殆んど一夫多妻で、妻妾一つ家に顔を列べてるのが一向珍らしくなかったのだから、女房を二人持っても格別不思議とも思われなかった。そういう時勢であったから椿岳は二軒懸持の旦那で頤を撫でていたが、淡島屋の妻たるおく・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ そこで女二人だけ黙って並んで歩き出した。女房の方が道案内をする。その道筋は軌道を越して野原の方へ這入り込む。この道は暗緑色の草がほとんど土を隠す程茂っていて、その上に荷車の通った轍の跡が二本走っている。 薄ら寒い夏の朝である。空は・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・と、町の女房たちが、うわさしているのをきいたのであります。 小川未明 「赤い船のお客」
出典:青空文庫