・・・洪積期の遺物と見られる泥炭地や砂地や、さもなければはげた岩山の多いのに驚いたことであったが、また一方で自然の厳父の威厳の物足りなさも感ぜられた。地震も台風も知らない国がたくさんあった。自然を恐れることなしに自然を克服しようとする科学の発達に・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・態度はいかにも威厳があって、自信力に富んでいるらしい。顔は賢そうで、煎じ詰めたようで、やや疲労の気色を帯びている。そう云う態度や顔に適っているのはこの男の周囲で、隅から隅まで一定の様式によって、主人の趣味に合うように整頓してある。器具は特別・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・あいつの疲れたような渋いような威厳が気に入った。あの若さで世の偽に欺かれたのを悔いたような処のあるのを面白く感じたと云った。そこで欺して己が手に入れて散々弄んだ揚句に糟を僕に投げてくれた。姿も心も変り果てて、渦巻いていた美しい髪の毛が死んだ・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・記者その人々の存在は、社名入りの名刺とその旗を立てて走る自動車の威厳によって装われるようになったのであった。 最近十数年の間戦争を強行し、非常な迅さで崩壊の途を辿った今日までの日本で、新聞がどういうものであったかは、改めて云う必要さえも・・・ 宮本百合子 「明日への新聞」
・・・子供が将来、独立人としての見識をもち、同時に、美しい寛大さと、威厳を失うことのない譲歩とを学ぶ、みなもとです。 日本が民主の国にならなければならない、その大切な毎日の発展は、こういう母たちの心がけのうちに、かもされてゆくのだと思います。・・・ 宮本百合子 「新しい躾」
・・・高岡只一が凡そ四時間に亙って陳述した間、裁判長はただ数度小さい言葉尻をとらえて、それで威厳でも示そうとするようにこけ脅しめいた文句を云いましたが、誰も問題にしていない。威厳は裁判長にはないのです。党員たちの態度の方に威厳があると感じました。・・・ 宮本百合子 「共産党公判を傍聴して」
・・・この市長というは土地の名家で身の丈高く辞令に富んだ威厳のある人物であった。『アウシュコルン、』かれは言った、『今朝、ブーズヴィルの途上でイモーヴィルのウールフレークの遺した手帳をお前が拾ったの見たものがある。』 アウシュコルンはなぜ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・ 床前に端座した栖方は、いつもの彼には見られぬ上官らしい威厳で首を横に振った。断乎とした彼の即決で、句会はそのまま続行された。高田の披講で一座の作句が読みあげられていくに随い、梶と高田の二作がしばらく高点を競りあいつつ、しだいにまた高田・・・ 横光利一 「微笑」
・・・そうしてさらに一層まれに、すなわち数年の間に一度くらい、あの王者の威厳と聖人の香りをもってむっくりと落ち葉を持ち上げている松茸に、出逢うこともできたのである。 こういう茸狩りにおいて出逢う茸は、それぞれ品位と価値とを異にするように感じら・・・ 和辻哲郎 「茸狩り」
・・・今やその不当な取り扱いは償われ、ただ芸術品としての威厳をもって人々の上に臨んだのである。 かくのごとき偶像の再興はまた千年にわたる教権の圧迫への反抗をも意味した。偶像再興者の眼より見れば、教権こそは破壊せらるべき偶像に過ぎないのであった・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫