「何しろこの頃は油断がならない。和田さえ芸者を知っているんだから。」 藤井と云う弁護士は、老酒の盃を干してから、大仰に一同の顔を見まわした。円卓のまわりを囲んでいるのは同じ学校の寄宿舎にいた、我々六人の中年者である。場所・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・Mは毎年学校の水泳部に行っていたので、とにかくあたり前に泳ぐことを知っていましたが、私は横のし泳ぎを少しと、水の上に仰向けに浮くことを覚えたばかりですし、妹はようやく板を離れて二、三間泳ぐことが出来るだけなのです。 御覧なさい私たちは見・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・――茶の唐縮緬の帯、それよりも煙草に相応わないのは、東京のなにがし工業学校の金色の徽章のついた制帽で、巻莨ならまだしも、喫んでいるのが刻煙草である。 場所は、言った通り、城下から海岸の港へ通る二里余りの並木の途中、ちょうど真中処に、昔か・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 僕は小学校を卒業したばかりで十五歳、月を数えると十三歳何ヶ月という頃、民子は十七だけれどそれも生れが晩いから、十五と少しにしかならない。痩せぎすであったけれども顔は丸い方で、透き徹るほど白い皮膚に紅味をおんだ、誠に光沢の好い児であった・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ ある日、正ちゃんは、学校のないので、午前十一時ごろにやって来た。僕は大切な時間を取られるのが惜しかったので、いい加減に教えてすましてしまうと、「うちの芸者も先生に教えていただきたいと言います」と言い出した。「面倒くさいから・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 本所を引払って、高等学校の先きの庭の広いので有名な奥井という下宿屋の離れに転居した頃までは緑雨はマダ紳士の格式を落さないで相当な贅をいっていた。丁度上田万年博士が帰朝したてで、飛白の羽織に鳥打帽という書生風で度々遊びに来ていた。緑雨は・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
はしがき この小冊子は、明治二十七年七月相州箱根駅において開設せられしキリスト教徒第六夏期学校において述べし余の講話を、同校委員諸子の承諾を得てここに印刷に附せしものなり。 事、キリスト教と学生とにかんすること多し、しかれど・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ 先生は、年子がゆく時間になると、学校の裏門のところで、じっと一筋道をながめて立っていらっしゃいました。秋のころには、そこに植わっている桜の木が、黄色になって、はらはらと葉がちりかかりました。そして、年子は、先生の姿を見つけると、ご本の・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
・・・「深い知合いというでもないが、小児の時学校が一緒とかで、顔は前から知ってるんだって」「そうですか。私ゃまたお上さんがお近しいから、そんな縁引きで今度親方のとこへも来なすったんだと思いまして……いえね、金さんの方じゃ知んなさらねえよう・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ ところが、尋常三年生の冬、学校がひけて帰ってくると、新次の泣声が聴えたので、咄嗟に浜子の小言を覚悟して、おそるおそる上ると、いい按配に浜子の姿は見えず、父が長火鉢の前に鉛のように坐って、泣いている新次をぼんやりながめながら、煙草を吹か・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫