・・・――と云うと多少気が利いていますが、家賃は案外安いのですよ。 主筆 そう云う説明は入らないでしょう。少くとも小説の本文には。 保吉 いや、必要ですよ。若い外交官の月給などは高の知れたものですからね。 主筆 じゃ華族の息子におしな・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・日参をしたって、参籠をしたって、そうとすれば、安いものだからね。つまり、神仏を相手に、一商売をするようなものさ。」 青侍は、年相応な上調子なもの言いをして、下唇を舐めながら、きょろきょろ、仕事場の中を見廻した。――竹藪を後にして建てた、・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・昨夜早田と話をした時、聞きただしてみると、この辺の土地の売買は思いのほか安いものですよ」 父は例の手帳を取り出して、最近売買の行なわれた地所の価格を披露しにかかると、矢部はその言葉を奪うようにだいたいの相場を自分のほうから切り出した。彼・・・ 有島武郎 「親子」
・・・燕はまだこんなりっぱなかたからまのあたりお声をかけられた事がないのでほくほく喜びながら、「それはお安い御用です。なんでもいたしますからごえんりょなくおおせつけてくださいまし」と申し上げました。 王子はしばらく考えておられましたがやが・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・思切って、ぺろ兀の爺さんが、肥った若い妓にしなだれたのか、浅葱の襟をしめつけて、雪駄をちゃらつかせた若いものでないと、この口上は――しかも会費こそは安いが、いずれも一家をなし、一芸に、携わる連中に――面と向っては言いかねる、こんな時に持出す・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・と言うのに押被せて、「馬鹿々々しく安いではないか。」と義憤を起すと、せめて言いねの半分には買ってもらいたかったのだけれど、「旦那さんが見てであったしな。……」と何か、私に対して、値の押問答をするのが極が悪くもあったらしい口振で。……「失礼だ・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・その頃偶っと或る会で落合った時、あたかも私が手に入れた貞享の江戸図の咄をすると、そんな珍本は集めないよ、僕のは安い本ばかりだと、暗に珍本無用論を臭わした。が、その口の端から渋江抽斎の写した古い武鑑が手に入ったといって歓喜と得意の色を漲らした・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・毎日新聞社は南風競わずして城を明渡さなくてはならなくなっても安い月給を甘んじて悪銭苦闘を続けて来た社員に一言の挨拶もなく解散するというは嚶鳴社以来の伝統の遺風からいっても許しがたい事だし、自分の物だからといって多年辛苦を侶にした社員をスッポ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 都会人のある者は、彼等の辛苦について、労働については、あまり考えないで、安いとか、高いとかいって、商人の手から買い、安いければ、安いで無考えに消費するまでのことです。「今年は、西瓜が安い、また豆が安い……」と言って、消費者は喜びま・・・ 小川未明 「街を行くまゝに感ず」
・・・で栗ぜんざい一杯とおすましとおはぎ食べてこましたりましてんと、彼女はその安い豪遊をいい触らすのである。「月ヶ瀬」は戎橋の停留所から難波へ行く道の交番所の隣にあるしるこ屋で、もとは大阪の御寮人さん達の息抜き場所であったが、いまは大阪の近代・・・ 織田作之助 「大阪発見」
出典:青空文庫