・・・――八大竜王鳴渡りて、稲妻ひらめきしに、諸人目を驚かし、三日の洪水を流し、国土安穏なりければ、さてこそ静の舞に示現ありけるとて、日本一と宣旨を給りけると、承り候。―― 時に唄を留めて黙った。「太夫様。」 余り尋常な、・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・また、「後の五百歳濁悪世の中に於て、是の経典を受持することあらば、我当に守護して、その衰患を除き、安穏なることを得しめん」とも録されてある。 今の時代は末法濁悪の時代であり、この時代と世相とはまさに、法華経宣布のしゅん刻限に当っているも・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・その後いよいよ御静養のことと思い安心しておりましたところ、風のたよりにきけば貴兄このごろ薬品注射によって束の間の安穏を願っていらるる由。甚だもっていかがわしきことと思います。薬品注射の末おそろしさに関しては、貴兄すでに御存じ寄りのことと思い・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・しかしこの清少納言のオーソリティが九百年もそのままに保存されて来たとすると、自然界に対する日本人の知識がいかに長い間平和安穏であったかという事を物語っている。 その後も二階へ上がる度に気をつけて見ると、簑虫の数は一つや二つではない。大小・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・それで世の中が平和になる。安穏になる。うまいもんだ。 チベットには、月を追っかけて、断崖から落っこって死んだ人間がある。ということを聞いた。 日本では、囚人や社会主義者、無政府主義者を、地震に委せるんだね。地震で時の流れを押し止める・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・人(碧梧桐、鼠骨、左千夫、秀真、節は帰ってしもうて余らの眠りに就たのは一時頃であったが、今朝起きて見ると、足の動かぬ事は前日と同しであるが、昨夜に限って殆ど間断なく熟睡を得たためであるか、精神は非常に安穏であった。顔はすこし南向きになったま・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
・・・る方策によってかまえられた名誉の前に、生きるに生きがたい死を敢てする若い竹内数馬の苦痛に満たされた行動は、内藤長十郎が報謝と賠償の唯一の道として全意志を傾けて忠利から殉死の許可を獲て、それで己は家族を安穏な地位に置いて、安んじて死ぬことが出・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・例えば中国の習俗では正月を迎えることは年中行事中、最も賑やからしい様子ですが、それなら中国の村人、市民がこれまでの歴史のなかで常に安穏な月日を経て来ているかと云えば、事実は反対のものとして語られていると思います。日本の私たちは、あながちその・・・ 宮本百合子 「歳々是好年」
・・・自分は飽食し、安穏に良人と召使とにかしずかれ、眉をかいた細君が、一種の自己陶酔の中で高々とうたい上げる祝詞のような皇軍の歌のかげに、生きて、食っているもののいいようのない脂のこさ、残酷さを感じる心は、決して銃後の女のまじめさと心やさしさに反・・・ 宮本百合子 「祭日ならざる日々」
・・・ かつては、世界で一番一人当りの貯金高の多かったイギリスの中流人の生活という安穏な日々の基盤の上に、ゴルフが流行し、同じ消閑慰安の目的にそうものとして探偵小説が発達したことには、必然があった。吉田首相がイギリスの探偵小説をよみ、日本の大・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
出典:青空文庫