・・・無論、実際よりもなお麗しくなお立派なものにして憬慕するのである。 現代の日本ほど時間の早く経過する国が世界中にあろうか。今過ぎ去ったばかりの昨日の事をも全く異った時代のように回想しなければならぬ事が沢山にある。有楽座を日本唯一の新し・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・だが其兄とさえ昵まぬ太十だから、どっちかといえばむっつりとした女房は実際こそっぱい間柄であった。孰れの村落へ行っても人は皆悪戯半分に瞽女を弄ぼうとする。瞽女もそれを知らないのではない。然し彼等は其僅少な金銭の為に節操を穢しつつある。瞽女でも・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・しこうして、その理想なるものが、忠とか孝とかいう、一種抽象した概念を直ちに実際として、即ち、この世にあり得るものとして、それを理想とさせた、即ち孔子を本家として、全然その通りにならなくともとにかくそれを目あてとして行くのであります。 な・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・ けれどもこの注文は、実際に於て満足されない事情がある。なぜかならば我等の芸術を装幀するものは、通例我等自身ではないからです。我等の為し得るところは、精々のところ他人の製作した者の中から、あの額縁この表紙を選定し指定するに過ぎない。しか・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・私は努めて、平然としようと骨折りながら訊いた。彼女は今私が足下の方に踞ったので、私の方を見ることを止めて上の方に眼を向けていた。 私は、私の眼の行方を彼女に見られることを非常に怖れた。私は実際、正直な所其時、英雄的な、人道的な、一人の禁・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・蓋し女大学の記者は有名なる大先生なれども、一切万事支那流より割出して立論するが故に、男尊女卑の癖は免かる可らず。実際の真面目を言えば、常に能く夜を守らずして内を外にし、動もすれば人を叱倒し人を虐待するが如き悪風は男子の方にこそ多けれども、其・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 斯くいえばとて、強ちに実際にある某の事某の物の中に某の意全く見われたりと思うべからず。某の事物には各其特有の形状備りあれば、某の意も之が為に隠蔽せらるる所ありて明白に見われがたし。之を譬うるに張三も人なり、李四も亦人なり。人に二なけれ・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・この銀盤は偶然だが、実際ある寺院で使っていたロオマ時代の器具であった。卓の上には物を書いた紙が一ぱいに散らばっていて、ほとんど空地が無い。それから給仕は来た時と同じように静かに謹んで跡へ戻って、書斎の戸を締めた。開いた本を閉じたほどの音もさ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・西行のごときは幾多の新材料を容れたるところあるいはこの意義を解する者に似たれど、実際その歌を見ば百中の九十九は皆いつわりのたくみなるを知らん。趣味を自然に求め、手段を写実に取りし歌、前に『万葉』あり、後に曙覧あるのみ。 されば曙覧が歌の・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ それに実際そこを海岸と呼ぶことは、無法なことではなかったのです。なぜならそこは第三紀と呼ばれる地質時代の終り頃、たしかにたびたび海の渚だったからでした。その証拠には、第一にその泥岩は、東の北上山地のへりから、西の中央分水嶺の麓まで、一・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
出典:青空文庫