・・・ 対岸の山は半ばは同じ紅葉につつまれて、その上はさすがに冬枯れた草山だが、そのゆったりした肩には紅い光のある靄がかかって、かっ色の毛きらずビロードをたたんだような山の肌がいかにも優しい感じを起させる。その上に白い炭焼の煙が低く山腹をはっ・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・長い廊下の一方は硝子障子で、庭の刀柏や高野槙につもった雪がうす青く暮れた間から、暗い大川の流れをへだてて、対岸のともしびが黄いろく点々と数えられる。川の空をちりちりと銀の鋏をつかうように、二声ほど千鳥が鳴いたあとは、三味線の声さえ聞えず戸外・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・ 昨夕もよ、空腹を抱えて対岸のアレシキに行って見るとダビドカの野郎に遇った。懐をあたるとあるから貸せと云ったら渋ってけっかる。いまいましい、腕づくでもぎ取ってくれようとすると「オオ神様泥棒が」って、殉教者の様な真似をしやあがる。擦った揉・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・果して、対岸に真紅な鳥が居る。撃ったであります。銃の命中したその鳥は、沼の中心へ落ちたであります。従って高級なる猟犬として泳いだのであります。」 と明確に言った。 のみならず、紳士の舌には、斑がねばりついていた。 一人として事件・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ときどき波が来て私たちの坐っている床がちょっと揺れたり、川に映っている対岸の灯が湯気曇りした硝子障子越しにながめられたり、ほんとうに許嫁どうしが会うているというほのぼのした気持を味わうのにそう苦心は要らなかったほど、思いがけなく心愉しかった・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・ この辺一帯に襲われているという毒蛾を捕える大篝火が、対岸の河原に焚かれて、焔が紅く川波に映っていた。そうしたものを眺めたりして、私たちはいつまでしても酔の発してこない盃を重ねていた。・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・これを対岸から写すので、自分は堤を下りて川原の草原に出ると、今まで川柳の蔭で見えなかったが、一人の少年が草の中に坐って頻りに水車を写生しているのを見つけた。自分と少年とは四、五十間隔たっていたが自分は一見して志村であることを知った。彼は一心・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・敵は靉河右岸に沿い九連城以北に工事を継続しつつあり、二十八日も時々砲撃しつつあり、二十六日九里島対岸においてたおれたる敵の馬匹九十五頭、ほかに生馬六頭を得たり――「どうです、鴨緑江大捷の前触れだ、うれしかったねえ、あの時分は。胸がどきど・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・三人は大声で笑い興じながらちょうど二人の対岸まで来た二人の此処に蹲居んでいることは無論気がつかない。「だって貴様は富岡のお梅嬢に大変熱心だったと言いますぜ」これは黒田の番頭の声である。「嘘サ、大嘘サ、お梅さんは善いにしてもあの頑固爺・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 河は、海峡よりはもっと広いひろがりをもって海のように豊潤に、悠々と国境を流れている。 対岸には、搾取のない生産と、新しい社会主義社会の建設と、労働者が、自分たちのための労働を、行いうる地球上たった一つのプロレタリアートの国があった・・・ 黒島伝治 「国境」
出典:青空文庫