・・・かつ椿岳は維新の時、事実上淡島屋から別戸して小林城三と名乗っていたから、本当は淡島椿岳でなくて小林椿岳であるはずだが、世間は前身の淡島屋を能く知ってるので淡島椿岳と呼び、椿岳自身もまた淡島と名乗っていた。が、実は小林であったか、淡島であった・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・われわれが過去の日本の文学から受けた教養は、過不足なき描写とは小林秀雄のいわゆる「見ようとしないで見ている眼」の秩序であると、われわれに教える。「見ようとしないで見ている眼」が「即かず離れず」の手で書いたものが、過不足なき描写だと、教える。・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・森鴎外でも志賀直哉でも芥川龍之介でも横光利一でも川端康成でも小林秀雄でも頭脳優秀な作家は、皆眼鏡を掛けていない。それに比べると、眼鏡を掛けた作家は云々。僕は眼鏡を掛けていない。だから云々と己惚れるのである。 そしてまた思うのである。森鴎・・・ 織田作之助 「僕の読書法」
・・・なお、小林秀雄氏の文芸評論はランボオ論以来ひそかに熟読した。 西鶴を本当に読んだのは「夫婦善哉」を単行本にしてからである。私のスタイルが西鶴に似ている旨、その単行本を読んだある人に注意されて、かつて「雨」の形式で「一代男」をひそかに考え・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
・・・立野信之、細野孝二郎、中野重治、小林多喜二等によって幾つかは生産されている。そこには、あるいはこく明にはつらつと、あるいはいみじくも現実的に、あるいは、みがかれた芸術性を以て単純素ぼくに、あるいは、大衆性と広さとをねらって農民の生活が操拡げ・・・ 黒島伝治 「農民文学の問題」
・・・ ぼくをぼくの好きな作家、尾崎士郎、横光利一、小林秀雄氏に紹介して下さい。嘘! ぼくは、今月中から、自伝を覚えたままに書いて行きたいと思うのです。が、『春服』が目茶苦茶なので悲観しているのです。『春服』が立ち直る迄なりと、一つ、月々五十枚位・・・ 太宰治 「虚構の春」
私は戦場から帰って、まもなくO君を田舎の町の寺に訪ねた。その時、墓場を通りぬけようとして、ふと見ると、新しい墓標に、『小林秀三之墓』という字の書いてあるのが眼についた。新仏らしく、花などがいっぱいにそこに供えてあった。・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・この溝渠には曾て月見橋とか雪見橋とか呼ばれた小さな橋が幾条もかけられていたのであるが、それ等旧時の光景は今はわずかに小林清親の風景板画に於てのみ之を見るものとなった。 池の端を描いた清親の板画は雪に埋れた枯葦の間から湖心遥に一点の花かと・・・ 永井荷風 「上野」
・・・書家には西川春洞、篆刻家には浜村大、画家には小林永濯がある。俳諧師には其角堂永機、小説家には饗庭篁村、幸田露伴、好事家には淡島寒月がある。皆一時の名士である。しかし明治四十三年八月初旬の水害以後永くその旧居に留ったものは幸田淡島其角堂の三家・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・ 秋山と云う、ライナーのハンドルを握ってるのが、小林に云った。 それは、鑿岩機さえ運転していないで、吹雪さえなければ、対岸までも聞える程の大声であった。そして、その小林は、秋山と三尺も離れないで、鑿の尖の太さを較べているのだった。・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
出典:青空文庫