・・・ 寒からぬ春風に、濛々たる小雨の吹き払われて蒼空の底まで見える心地である。日本一の御機嫌にて候と云う文句がどこかに書いてあったようだが、こんな気分を云うのではないかと、昨夕の気味の悪かったのに引き換えて今の胸の中が一層朗かになる。なぜあ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・ 白みそめる頃からの小雨がまだ止もうともしずに朝明の静けさの中に降って居る。 眠りの不足なのと心に深く喰い込で居る悲しさのために私の顔は青く眼が赤くはれ上って居た。 雨のしとしとと降る裡を今に私共はこ・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
ふつか小雨が降って、晴れあがったら、今日は山々の眺めから風の音まで、いかにもさやかな秋という工合になった。 山の茶屋の二階からずうっと見晴すと、遠い山襞が珍しくはっきり見え、千曲川の上流に架っているコンクリートの橋が白・・・ 宮本百合子 「上林からの手紙」
・・・朝からいかにも陰気な小雨で、留置場の裡はしめっぽく、よごれたゴザが足の裏へベタベタ吸いつくようだった。雨の日、留置場は濡れた鶏小舎そっくりの感じである。シーンとなっていると、三時頃、呼び出された。矢張りべとつくアンペラ草履で二階へ行くと、高・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ 十月十二日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県上林温泉より〕 十月十二日、小雨ふったり、やんだり。きょうは山の中から出かけて、二人は毛襦子の大コウモリをつき、善光寺見物です。善光寺下という電鉄の駅でおりたら陸続として黄色の花飾・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・○十一月の或小雨もよいの午後四時。暗いので部屋に灯がついている。入った右手の安楽椅子のところに紀 ラクダ毛布を引かついで眠をぶっている。紫矢がすり 赤い友禅のドテラ引かぶって櫛のハの通っていない髪 青い半ぐつした・・・ 宮本百合子 「情景(秋)」
・・・ ○枯山に白くコブシの野生の花 遠くから見える景色よし 都会の公園 日比谷公園 六月二十七日 ○梅雨らしく小雨のふったり上ったりする午後、 ○池、柳、鶴 ペリカン――毛がぬけて薄赤い肌の色が見える首・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
さて、いよいよモスクワも本物にあつくなって来た。 あっちは、日本みたいに梅雨はないが、冬がひどく長い。四月頃やっと雪がとけて、メーデーには、小雨でも降ると、まだどうしてなかなか冷えるという時候だ。 それが五月二十日・・・ 宮本百合子 「ソヴェト労働者の夏休み」
・・・るに思ひ居るかな春おそきわびしき村に来て見れば 桜と小麦の世にもあるかな歌唄ひ物を書けども我心 一つにならぬかるきかなしみ訪ふ人もあらぬ小塚の若きつた 小雨にぬれて青く打ち笑む行きずり・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
・・・ 鳩を小屋に入れる頃から小雨が降り出して夜に入ってもやまなかった。 夕飯をすまして歌をうたって居た時京子の声がしきりに、「一寸一寸、ここまで来て御覧なさいよ。と云って居るのをききつけた。 千世子はつま先でとぶ様に・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
出典:青空文庫