・・・今もまたトンネルを通り抜けた汽車は苦しそうに煙を吹きかけ吹きかけ、雨交りの風に戦ぎ渡った青芒の山峡を走っている。…… ――――――――――――――――――――――――― 翌日の日曜日の日暮れである。保吉は下宿の古・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・ そんな会話をしたのを、ぼんやり覚えている。山峡のまちに居るのだな、と酔っていながらも旅愁を感じた。 宿に送りとどけられ、幸吉兄妹に蒲団までひいてもらったのだろう、私は翌る日の正午ちかくまで、投げ捨てられた鱈のように、だらしなく眠っ・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・その玩具のような可愛い汽車は、落葉樹の林や、谷間の見える山峡やを、うねうねと曲りながら走って行った。 或る日私は、軽便鉄道を途中で下車し、徒歩でU町の方へ歩いて行った。それは見晴しの好い峠の山道を、ひとりでゆっくり歩きたかったからであっ・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ 海抜二千尺、山峡を流るる川は、吹雪の唸りと声を合せて、泡を噛んでいた。 物の音は、それ丈けであった。 掘鑿の中は、雪の皮膚を蹴破って大地がその黒い、岩の大腸を露出していた。その上を、悼むように、吹雪の色と和して、ダイナマイトの・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・「シベッチャの山峡」「下水工事場」「三河島町風景」「無題」などの中に、いくつか印象のつよい作がありました。山田清三郎が獄中からよこす歌には何とも云えぬ素直さ、鍛えられた土台の上に安々としている或るユーモアの境地があり、作品に独特なおもむきを・・・ 宮本百合子 「歌集『集団行進』に寄せて」
出典:青空文庫