・・・自分の影は左側から右側に移しただけでやはり自分の前にあった。そして今は乱されず、鮮かであった。先刻自分に起ったどことなく親しい気持を「どうしてなんだろう」と怪しみ慕しみながら自分は歩いていた。型のくずれた中折を冠り少しひよわな感じのする頚か・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・…… 丘の左側には汽車が通っていた。 河があった。そこには、まだ氷が張っていた。牛が、ほがほがその上を歩いていた。 右側には、はてしない曠野があった。 枯木が立っていた。解けかけた雪があった。黒い烏の群が、空中に渦巻いていた・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 左側の樅やえぞ松がある山の間にパルチザンが動いているのが兵士達の眼に映じた。彼等は、すぐ地物のかげに散らばった。 パルチザンは、その山の中から射撃していたのだ。 パルチザンは、明らかに感情の興奮にかられているようだった。 ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ 堂のこなた一段低きところの左側に、堂守る人の居るところならんと思しき家ありて、檐に響板懸り、それに禅教尼という文字見えたり。ここの別当橋立寺と予て聞けるはこれにやと思いつつ音ない驚かせば、三十路あまりの女の髪は銀杏返しというに結び、指・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・そして名宛の左側の、親展とか侍曹とか至急とか書くべきところに、閑事という二字が記されてあった。閑事と表記してあるのは、急を要する用事でも何んでも無いから、忙がしくなかったら披いて読め、他に心の惹かれる事でもあったら後廻しにしてよい、という注・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・ と看守がニヤ/\笑って、左側の窓の方を少しあけてくれた。俺ともう一人の同志は一寸顔を見合せた。――警視庁と云えば、俺は前に面白い小説を読んだことがあった。 警視庁の建築工事に働きに行っている労働者の話なんだが、その労働者がこの工事・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ 路の左側の杉林に、嘉七は、わざとゆっくりはいっていった。かず枝もつづいた。雪は、ほとんどなかった。落葉が厚く積っていて、じめじめぬかった。かまわず、ずんずん進んだ。急な勾配は這ってのぼった。死ぬことにも努力が要る。ふたり坐れるほどの草・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・右側に十本、左側にも十本、いずれも巨木である。葉の繁るころ、この路はうすぐらく、地下道のようである。いまは一枚の葉もない。並木路のつきるところ、正面に赤い化粧煉瓦の大建築物。これは講堂である。われはこの内部を入学式のとき、ただいちど見た。寺・・・ 太宰治 「逆行」
・・・その原稿と色や感じのよく似た雁皮鳥の子紙に印刷したものを一枚一枚左側ページに貼付してその下に邦文解説があり、反対の右側ページには英文テキストが印刷してある。 書物の大きさは三二×四三・五センチメートルで、用紙は一枚漉きの純白の鳥の子らし・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
・・・とある横町を這入って行くと左側にシャボテンを売る店があった。もう少し行くと路地の角の塀に掛けた居住者姓名札の中に「寒川陽光」とあるのが突然眼についた。そのすぐ向う側に寒川氏の家があって、その隣が子規庵である。表札を見ると間違いはないのである・・・ 寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
出典:青空文庫