・・・お君がこっそり山谷に会わないだろうかと心配して、市場へ行くのにもあとを尾行た。なお、自分でも情けないことだが、何かにつけてお君の機嫌をとるのだった。安二郎もどうやら痩せてきた。貸金の取りたてに走り廻っている留守中、お君が山谷に会っているかも・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ といって、いたずらに驚いておれば、もはや今日の大阪の闇市場を語る資格がない。 一個百二十円の栗饅頭を売っている大阪の闇市場だ。十二円にしてはやすすぎると思って、買おうとしたら、一個百二十円だときかされて、胆をつぶしたという人がいる・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・川添の公設市場。タールの樽が積んである小屋。空地では家を建てるのか人びとが働いていた。 川上からは時どき風が吹いて来た。カサコソと彼の坐っている前を、皺になった新聞紙が押されて行った。小石に阻まれ、一しきり風に堪えていたが、ガックリ一つ・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・ 田園、平野、市街、市場、劇場。船着場や海。そう言った広大な、人や車馬や船や生物でちりばめられた光景が、どうかしてこの暗黒のなかへ現われてくれるといい。そしてそれが今にも見えて来そうだった。耳にもその騒音が伝わって来るように思えた。・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ それはある日吉田が病院の近くの市場へ病人の買物に出かけたときのことだった。吉田がその市場で用事を足して帰って来ると往来に一人の女が立っていて、その女がまじまじと吉田の顔を見ながら近付いて来て、「もしもし、あなた失礼ですが……」・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・帝国主義的発展の段階に這入った資本主義は、その商品市場を求めるためと、原料を持って来るために、新しく植民地の分割を企図する。植民地の労働者をベラ棒に安い、牛か馬かを使うような調子に働かせるために、威嚇し、弾圧する。その目的に軍隊を使う。満洲・・・ 黒島伝治 「入営する青年たちは何をなすべきか」
・・・ 資本家の間に於ける独占は、始めは国内の市場をそれぞれに分割する。が、国内の市場は、資本主義の下では、外国市場と密接な関係を持っていて、そこで、それらは、一定の世界市場を形成することになる。こゝで、大資本家の団体が、ある原料産地や、市場・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・とか云った日米戦争未来記が市場に洪水している如く、日露戦争前にあっては、日露戦争未来記が簇出して、いやが上にも敵愾心をあおり立てゝいたことである。 これらの戦争に関連した諸々の際物的流行は、周知の如く、文学作品として、歴史の批判に堪え得・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・彼は、一エキュ以上する着物を着たことがない、一日に一文以上市場に払ったことがない、と自慢した。また、田舎にある自分の家は、外側に壁土をつけないものばかりだと、自慢した。また、伝うる所によれば、ホメロスは、唯一人しか下僕を持ったことがなかった・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・なんでも欲しいものを買えると思えば、何の空想も湧いて来ません。市場へ出掛けてみても私は、虚無です。よその叔母さんたちの買うものを、私も同じ様に買って帰るだけです。あなたが急にお偉くなって、あの淀橋のアパートを引き上げ、この三鷹町の家に住むよ・・・ 太宰治 「きりぎりす」
出典:青空文庫