・・・さっそく、教室へはいって、荷物を持って帰り支度をしました。「君、家へ帰るの?」と、小田が、そばにきてたずねました。「ああ、僕、家へ帰って、やまがらにお湯をやったのを、水に換えてくるよ。しかし、もう飲んでしまったら、たいへんだね。」と・・・ 小川未明 「ある日の先生と子供」
・・・自分は二尾のセイゴを得たが、少年は遂に何をも得なかった。 時は経った。日は堤の陰に落ちた。自分は帰り支度にかかって、シカケを収め、竿を収めはじめた。 少年はそれを見ると、 小父さんもう帰るの?と予に力ない声を掛けたが、その顔・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・訪客あきれて、帰り支度をはじめる。べつに引きとめない。孤独の覚悟も、できている筈だ。 もっともっとひどい孤独が来るだろう。仕方がない。かねて腹案の、長い小説に、そろそろ取りかかる。 いやらしい男さ。このいやらしさを恐れてはならない。・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・記者たちは、興覚め顔に、あいつどこへ行きやがったんだろう、そろそろおれたちも帰ろうか、など帰り支度をはじめ、私は、お待ち下さい、先生はいつもあの手で逃げるのです、お勘定はあなたたちから戴きます、と申します。おとなしく皆で出し合って支払って帰・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・釣船はそろそろ帆を張って帰り支度をしている。沖の礁を廻る時から右舷へ出て種崎の浜を見る。夏とはちがって人影も見えぬ和楽園の前に釣を垂れている中折帽の男がある。雑喉場の前に日本式の小さい帆前が一艘ついて、汀には四、五人ほど貝でも拾っている様子・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
出典:青空文庫