・・・あの呪うべきマソヒズムはこう云う肉体的快不快の外見上の倒錯に常習的傾向の加わったものである。わたしの信ずるところによれば、或は柱頭の苦行を喜び、或は火裏の殉教を愛した基督教の聖人たちは大抵マソヒズムに罹っていたらしい。 我我の行為を決す・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ 支那人の呉清輝は、部屋の入口の天鵞絨のカーテンのかげから罪を犯した常習犯のように下卑た顔を深沢にむけてのぞかした。深沢は、二人の支那人の肩のあいだにぶらさがって顔をしかめている田川を睨めつけた。「何、貴様が、ボンヤリしているんだ!・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・のコーヒーをちびちびなめながら淡い郷愁を瞞着するのが常習になってしまった。 ベルリンの冬はそれほど寒いとは思わなかったが暗くて物うくて、そうして不思議な重苦しい眠けが濃い霧のように全市を封じ込めているように思われた。それが無意識な軽微の・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・ 第二学年の学年試験の終わったあとで、その時代にはほとんど常習となっていたように、試験をしくじった同郷同窓のために、先生がたの私宅へ押しかけて「点をもらう」ための運動委員が選ばれた時、自分もその一員にされてしまった。そうしてそのためにも・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・しかし間もなくそれが常習的年中行事となると、今度はそれが大きな苦労の種となった。わがままで不精な彼にとって年賀状というものが年の瀬に横たわる一大暗礁のごとく呪わしきものに思われて来たのだそうである。「同じ文句を印刷したものを相互に交換す・・・ 寺田寅彦 「年賀状」
・・・興行者と常習的観客の間には必ず適当な巧妙な通信機関がいろいろとくふうされるに違いない。 その他の多くの広告はたいてい日刊新聞によらなくてもすむものである。たとえば書籍雑誌の広告にしたところで、おそらく日本ほど多数でぎょうぎょうしいのはど・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・大きな梨ならば六つか七つ、樽柿ならば七つか八つ、蜜柑ならば十五か二十位食うのが常習であった。田舎へ行脚に出掛けた時なども、普通の旅籠の外に酒一本も飲まぬから金はいらぬはずであるが、時々路傍の茶店に休んで、梨や柿をくうのが僻であるから、存外に・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・野心家で空想家でやがて飲んだくれになり、家出常習であった父親と、短い生涯を子供を養うために働き切って栄養不良で死んだ母親との生活の観察。その母を扶けるために金や子供の衣類を稼ぎの中から仕送りして来る淫売婦である母の妹、性的生活は荒々しい生活・・・ 宮本百合子 「中国に於ける二人のアメリカ婦人」
・・・このようなところにも世の乱れとてぜひもなく、このころ軍があッたと見え、そこここには腐れた、見るも情ない死骸が数多く散ッているが、戦国の常習、それを葬ッてやる和尚もなく、ただところどころにばかり、退陣の時にでも積まれたかと見える死骸の塚が出来・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫