たいらのとももり【平知盛】
[1152〜1185]平安末期の武将。清盛の四男。権中納言。源頼政を宇治で、源行家を播磨 (はりま) 室山で破った。一ノ谷の戦いで奮戦し、のち、壇ノ浦の戦いで入水。謡曲・浄瑠璃などに脚色される。
たいらののりつね【平教経】
[1160〜1185]平安末期の武将。教盛の子。能登守。勇猛で、源義仲の軍を水島に破り、屋島の戦いでは佐藤継信を射殺。壇ノ浦の戦いで源義経を取り逃がして入水。
たいらののりもり【平教盛】
[1128〜1185]平安末期の武将。忠盛の子。清盛の弟。保元・平治の乱の功で正三位権中納言となった。清盛の邸の門のわきに居を構えて、門脇 (かどわき) 殿とよばれた。源行家を播磨 (はりま) に破ったが、壇ノ浦の戦いで入水。
たいらのまさかど【平将門】
[?〜940]平安中期の武将。高望 (たかもち) の孫。下総 (しもうさ) を本拠として土着豪族の伝統的勢力を継承、伯父国香を殺し、関東の最強豪族となった。下総猿島 (さしま) に王城を営み、文武百官を置いて新皇と称したが、平貞盛・藤原秀郷 (ふじわらのひでさと) に攻められて敗死。 海音寺潮五郎の長編歴史小説。昭和29年(1954)から「経済産業新聞」に連載されたものが初出。単行本は、第一部「帰去来の巻」が昭和30年(1955)、第二部「乱離の巻」が昭和32年(1957)刊行。戦前・戦中の皇国史観により、逆臣として不当に評価されてきたの歴史的位置づけを正そうとした作品。 真山青果の戯曲。大正14年(1925)、雑誌「中央公論」1月号に掲載。昭和2年(1927)2月、井上正夫らが本郷座にて初演。
たいらのまさこ【平政子】
⇒北条政子 (ほうじょうまさこ)
たいらのまさもり【平正盛】
平安後期の武将。清盛の祖父。白河上皇に認められ、伊勢守・因幡 (いなば) 守・讃岐 (さぬき) 守などを歴任。伊勢平氏興隆の基を築いた。生没年未詳。
たいらのむねもり【平宗盛】
[1147〜1185]平安末期の武将。清盛の三男。従一位内大臣。源義仲の軍に追われ、安徳天皇を奉じて京を離れた。のち、義経の軍に一ノ谷の戦いで敗れ、壇ノ浦の戦いで大敗。捕らえられて近江 (おうみ) で斬られた。
たいらのやすより【平康頼】
平安末期、後白河院の近臣。鹿ヶ谷 (ししがたに) の議に参加し、俊寛らとともに鬼界ヶ島に流され、翌年許されて帰り、仏門に入った。法名、性照。著「宝物集」。生没年未詳。
たいらのよしかど【平良門】
平将門 (まさかど) の遺子として浄瑠璃・歌舞伎などに脚色されている人物。浄瑠璃「関八州繋馬 (かんはっしゅうつなぎうま) 」や、読本「善知鳥安方忠義伝 (うとうやすかたちゅうぎでん) 」などに登場する。
たいらのよりもり【平頼盛】
[1131〜1186]平安末期の武将。忠盛の子。その住居を池殿といい、池の大納言と称した。母、池禅尼が源頼朝を救ったので、平氏敗北後も鎌倉に招かれて厚遇されたが、平氏滅亡後出家した。法名、重蓮。