・・・ 何でも明治三十年代に萩野半之丞と言う大工が一人、この町の山寄りに住んでいました。萩野半之丞と言う名前だけ聞けば、いかなる優男かと思うかも知れません。しかし身の丈六尺五寸、体重三十七貫と言うのですから、太刀山にも負けない大男だったのです・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・ 何でも稲見の母親が十か十一の秋だったそうです。年代にすると、黒船が浦賀の港を擾がせた嘉永の末年にでも当りますか――その母親の弟になる、茂作と云う八ツばかりの男の子が、重い痲疹に罹りました。稲見の母親はお栄と云って、二三年前の疫病に父母・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・その中で、最も古いのは、恐らくマシウ・パリスの編纂したセント・アルバンスの修道院の年代記に出ている記事であろう。これによると、大アルメニアの大僧正が、セント・アルバンスを訪れた時に、通訳の騎士が大僧正はアルメニアで屡々「さまよえる猶太人」と・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ とにもかくにも、明治四十年代以後の詩は、明治四十年代以後の言葉で書かれねばならぬということは、詩語としての適不適、表白の便不便の問題ではなくて、新らしい詩の精神、すなわち時代の精神の必要で・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・唐の都でも、皆なが不思議がっておりますると、その日から三日目に、年代記にもないほどな大火事が起りまして。」「源助、源助。」 と雑所大きに急いて、「何だ、それは。胸へ人という字を書いたのは。」とかかる折から、自分で考えるのがまだる・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・中には戯文や駄洒落の才を頼んで京伝三馬の旧套を追う、あたかも今の歌舞伎役者が万更時代の推移を知らないでもないが、手の出しようもなくて歌舞伎年代記を繰返していると同じであった。が、大勢は終に滔々として渠らを置去りにした。 かかる折から卒然・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・ 一八五〇年代のロシアの学生が、「民衆の中に」行った気持には、悲壮なものがあった。彼等は、大学を捨てたばかりでなく、一切の都会的享楽から離れて、農村に走り、農奴と伍した。そして、自から耕牧して、彼等と共に、苦楽を分った。彼等の生活が正し・・・ 小川未明 「純情主義を想う」
・・・ なるほど、私たちの年代の者が、故郷故郷となつかしがるのはいかにも年寄じみて見えるだろう。けれど、思想のお化けの数が新造語の数ほどあって、しかも、どれをも信じまいとする心理主義から来る不安を、深刻がることを、若き知識人の特権だと思ってい・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・そこで、小説では場面場面の描写を簡略にし、年代記風のものを書きたいと思い、既に二作目の「雨」でそれをやった。してみれば、私の小説は、すくなくともスタイルは、戯曲勉強から逆説的に生れたものであると言えるだろう。私の小説の話術は、戯曲の科白のや・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
・・・子も、孫も、その孫も、幾年代か鉱毒に肉体を侵蝕されてきた。荒っぽい、活気のある男が、いつか、蒼白に坑夫病た。そして、くたばった。 三代目の横井何太郎が、M――鉱業株式会社へ鉱山を売りこみ、自身は、重役になって東京へ去っても、彼等は、ここ・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
出典:青空文庫