・・・ 彼は、老人の息がかゝらないように、出来るだけ腰掛の端の方へ坐り直した。彼は、癇高い語をつゞけている通訳と老人の唇の動き方を見た。老人は苦るしげに、引きつっているような舌を動かしている。やがて通訳も外へ出てしまった。年取った鮮人と、私と・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・故人成田屋が今の幸四郎、当時の染五郎を連れて釣に出た時、芸道舞台上では指図を仰いでも、勝手にしなせいと突放して教えてくれなかったくせに、舟では染五郎の座りようを咎めて、そんな馬鹿な坐りようがあるかと激しく叱ったということを、幸四郎さんから直・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・そこで机の前に坐り、外のことにはちっとも気を散らさずに、自分の仕事をしているTがすぐ想像できた。そんなところへこのあやふやな気持を持ってゆき、それをゴマかすためにでたらめをむちゃくちゃにしゃベる! とんでもないことだ! ことごとにこんな自分・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・ とおげんは自分に言って見て、熊吉の側に坐り直しながら、眩暈心地の通り過ぎるのを待った。金色に光った小さな魚の形が幾つとなく空なところに見えて、右からも左からも彼女の眼前に乱れた。 こんなにおげんの激し易くなったことは、酷く弟達を驚・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・スバーが、それを噛めるようにしてやる そうやって長いこと坐り、釣の有様を見ている時、彼女は、どんなにか、プラタプの素晴らしい手伝い、真個の助けとなって、自分が此世に只厄介な荷物ではないことを証拠だてたく思ったでしょう! けれども、何もす・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・また、晩ごはんのときには、ひとり、ひとりお膳に向って坐り、祖母、母、長兄、次兄、三兄、私という順序に並び、向う側は、帳場さん、嫂、姉たちが並んで、長兄と次兄は、夏、どんなに暑いときでも日本酒を固執し、二人とも、その傍に大型のタオルを用意させ・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・そうして激昂する心を抑えてピアノの前に坐り所定曲目モザルトの一曲を弾いているうちにいつか頭が変になって来て、急に嵐のような幻想曲を弾き出す、その狂熱的な弾奏者の顔のクローズアップに重映されて祖国の同志達の血潮に彩られた戦場の光景が夢幻のごと・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・辰之助は庭先の方に、道太と向かいあって坐りながら言ったが、古びていたけれど、まだ内部はどうもなっていなかった。以前廂なぞ傾いでいたこともあったけれど、いくらか手入れもしたらしかった。「古びのついたところがいいね」「もうだめや。少し金・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 夜ごと日ごとに鏡に向える女は、夜ごと日ごとに鏡の傍に坐りて、夜ごと日ごとのはたを織る。ある時は明るきはたを織り、ある時は暗きはたを織る。 シャロットの女の投ぐる梭の音を聴く者は、淋しき皐の上に立つ、高き台の窓を恐る恐る見上げぬ事は・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・そして坐りたくてならないのを強いて、ガタガタ震える足で突っ張った。眼が益々闇に馴れて来たので、蔽いからはみ出しているのが、むき出しの人間の下半身だと云うことが分ったんだ。そしてそれは六神丸の原料を控除した不用な部分なんだ! 私は、そこで・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
出典:青空文庫