・・・ 林右衛門は、家老と云っても、実は本家の板倉式部から、附人として来ているので、修理も彼には、日頃から一目置いていた。これはほとんど病苦と云うものの経験のない、赭ら顔の大男で、文武の両道に秀でている点では、家中の侍で、彼の右に出るものは、・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・耳にはいるのは几帳の向うに横になっている和泉式部の寝息であろう。春の夜の曹司はただしんかんと更け渡って、そのほかには鼠の啼く声さえも聞えない。 阿闍梨は、白地の錦の縁をとった円座の上に座をしめながら、式部の眼のさめるのを憚るように、中音・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・と、今客を案内して来た小式部という花魁が言ッた。「小式部さん、これを上げよう」と、初緑は金盥の一個を小式部が方へ押しやり、一個に水を満々と湛えて、「さア善さん、お用いなさい。もうお湯がちっともないから、水ですよ」「いや、結構。ありが・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫