・・・このような記憶あるいは本能が人間種族からすっかり消え去らない限り、強者と弱者の関係はあらゆる学説などとは無関係に存続するだろう。 子供らはまたよくかやつり草を芝の中から捜し出した。三角な茎をさいて方形の枠形を作るというむつかしい幾何学の・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・それに弱者や低能者にはそれ相当の理窟と主張があって、それに耳を傾けていれば際限がないのであった。 辰之助もその経緯はよく知っていた。今年の六月、二十日ばかり道太の家に遊んでいた彼は、一つはその問題の解決に上京したのであったが、道太は応じ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・すなわち俗にいう瘠我慢なれども、強弱相対していやしくも弱者の地位を保つものは、単にこの瘠我慢に依らざるはなし。啻に戦争の勝敗のみに限らず、平生の国交際においても瘠我慢の一義は決してこれを忘るべからず。欧州にて和蘭、白耳義のごとき小国が、仏独・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・「戦国時代には、弱者たる普通の民衆は、戦々きょうきょうとしてその日その日をどうにか生き延びていたであろうが、せちがらい今日『ひかげの花』の男女が、どうにか生きのびているのも同じ訳ではあるまいか」「人生の落伍者の生活にも、それ相応の生存の楽し・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・ 女を夫が邪にするのであるか、それとも、夫と妻との成り立ちとその生活に世俗のしきたりが求めている何かによって、妻が邪になり、いつしか弱者の人間的堕落の象徴として欺瞞を身につけるのであるか。日本の社会の現実のなかでは、特別この点が両性相剋・・・ 宮本百合子 「漱石の「行人」について」
・・・然し、已を得ないと云うような言葉はつまり、弱者の云うことで――実際、此のサクバクたる農村が、郡山と同様の地租その他を負担させられると云うのは可哀そうなことです。「でも、地価や何かがあがるから少しは今とは違うでしょう。「いやそうです。・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
・・・戦国時代のことであるから、陰謀、術策、ためにする宣伝などもさかんに行なわれていたことであろうが、しかし彼は、そういうやり方に弱者の卑劣さを認め、ありのままの態度に強者の高貴性を認めているのである。そうしてまたそれが結局において成功の近道であ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫