・・・ 救われた若者は、町で有名な海老屋という呉服屋の息子で、当主の弟にあたる人であったのである。 名乗られると、急にどよめき立った者達は、ふだんは使わない取って置きのいい言葉で御機嫌をとろうとするので、大の男までときどき途方もないとんち・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・どうぞ死ぬることだけは思い止まって、御当主にご奉公してくれい」と言った。 五助はどうしても聴かずに、五月七日にいつも牽いてお供をした犬を連れて、追廻田畑の高琳寺へ出かけた。女房は戸口まで見送りに出て、「お前も男じゃ、お歴々の衆に負けぬよ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ さりながら一旦切腹と思定め候某、竊に時節を相待ちおり候ところ、御隠居松向寺殿は申に及ばず、その頃の御当主妙解院殿よりも出格の御引立を蒙り、寛永九年御国替の砌には、松向寺殿の御居城八代に相詰め候事と相成り、あまつさえ殿御上京の御供にさえ・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・秀麿と大した点数の懸隔もなくて、優等生として銀時計を頂戴した同科の新学士は、文部省から派遣せられる筈だのに、現にヨオロッパにいる一人が帰らなくては、経費が出ないので、それを待っているうちに、秀麿の方は当主の五条子爵が先へ立たせてしまった。子・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ 翌年は明和五年で伊織の弟宮重はまだ七五郎と云っていたが、主家のその時の当主松平石見守乗穏が大番頭になったので、自分も同時に大番組に入った。これで伊織、七五郎の兄弟は同じ勤をすることになったのである。 この大番と云う役には、京都二条・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
出典:青空文庫