・・・ * * * * *後記。「さん・せばすちあん」は伝説的色彩を帯びた唯一の日本の天主教徒である。浦川和三郎氏著「日本に於ける公教会の復活」第十八章参照。 芥川竜之介 「誘惑」
・・・例えば作家が著作集を出す時、後記というものを書くけれど、それは如何ほど謙遜してみたところで、ともかく上梓して世に出す以上、多少の己惚れが無くてはかなうまいと思うが、どうであろうか。恥しいものですと断ってみても、無理矢理本屋に原稿を持っていか・・・ 織田作之助 「僕の読書法」
・・・ 第一巻の後記にも書いておいたはずであるが、私はこの選集の毎巻の末尾に少しずつ何か書くことになっているとはいうものの、それは読者の自由な鑑賞を妨げないように、出しゃばった解説はできるだけ避け、おもに井伏さんの作品にまつわる私自身の追憶を・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・て、私、末代までの恥辱、逢う人、逢う人に笑われるなどの挿話まで残して、三号出し、損害かれこれ五百円、それでも三号雑誌と言われたくなくて、ただそれだけの理由でもって、むりやり四号印刷して、そのときの編輯後記、『今迄で、三回出したけれど、何時だ・・・ 太宰治 「喝采」
・・・ 後記 ルクレチウスの書によってわれわれの学ぶべきものは、その中の具体的事象の知識でもなくまたその論理でもなく、ただその中に貫流する科学的精神である。この意味でこの書は一部の貴重なる経典である。もし時代に応じて適当に・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・勤めている若い女が官僚風な空気の中でくしゃくしゃする気分はかかれていますが、ルポルタージュというものは、後記にかかれているような気分と本文の気分の間に漂う自分を自分で把握した上で具体的に書かれるものでしょう。〔一九四〇年五月〕・・・ 宮本百合子 「新女性のルポルタージュより」
・・・ 編輯後記には、ソ連に数年滞在した若き作家と紹介されている。筆の立つ人であるらしく、数年前或る役所からこの人の名で独特なパンフレットが出ていたような覚えがある。いろいろを考えると、「作家」という名詞の包括力の大さに、慨歎せざるを得ないわ・・・ 宮本百合子 「近頃の話題」
・・・編輯後記を見たら、旧作「濃淡」に骨子を得云々とあり、作者もそのことを附記されている。 旧作が生憎手元にないので比較して作者の新たな意企や技術の上での試みを学ぶことが出来ないのは残念である。「新胎」について技術的な面で感じることは、現実の・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・ 後記 一九四九年四月。選集第十巻に収録するためにこの文章をよみかえした。そして、作者と読者とのためにこんにちでは、短い附記の必要を感じた。川端康成は一九一四年ころから作品をかきはじめ、一九二二年「伊豆の踊子」によって、独特・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・五月号『働く婦人』編輯後記に短かく報道されていますが、中耳炎になった彼が警察から入院させられた済生会病院は、ブルジョア慈善病院らしくろくな手当てもしないばかりか、病がすすみもう生命が危いところまで行ったと知ると、責任を胡魔化すため「君は三日・・・ 宮本百合子 「ますます確りやりましょう」
出典:青空文庫