・・・思い出してみれば、どうにも心の動きがつかなかったような日が多かったなかにも、南葵文庫の庭で忍冬の高い香を知ったようなときもあります。霊南坂で鉄道草の香りから夏を越した秋がもう間近に来ているのだと思ったような晩もあります。妄想で自らを卑屈にす・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・食べると甘い、忍冬花であった。これに機嫌を直して、楽しく一杯酒を賞した。 氏はまた蒲公英少しと、蕗の晩れ出の芽とを採ってくれた。双方共に苦いが、蕗の芽は特に苦い。しかしいずれもごく少許を味噌と共に味わえば、酒客好みのものであった。 ・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・下の方に忍冬が描いてありましょう。忍冬は Honeysuckle だから Henry に当るのです。左りの上に塊っているのが Geranium でこれは G……」と云ったぎり黙っている。見ると珊瑚のような唇が電気でも懸けたかと思われるまでに・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・落ち埋む庭たつみ痩臑の毛に微風あり衣がへ月に対す君に投網の水煙夏川をこす嬉しさよ手に草履鮎くれてよらで過ぎ行く夜半の門夕風や水青鷺の脛を打つ点滴に打たれてこもる蝸牛蚊の声す忍冬の花散るたびに青梅に眉あつめたる・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫