・・・しかしここで注目すべきことは、日本では、明治開化期が、二十二年憲法発布とともに、却って逆転させられて、人民の自由の封鎖がはっきりその頃からはじまった点である。それまでは闊達であった婦人の政治的活躍も様々の法令や規則で禁止されるようになったし・・・ 宮本百合子 「明日への新聞」
ともかく日本にも民主憲法ができた。明治二十二年にできた旧憲法では、支配する者の権力がどんなに絶対であり、人民はどんなに絶対従順にそれに服従しなければならないかということが眼目としてつくられていた。これは欽定憲法と呼ばれてい・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・日本のわたしたちは、憲法の抽象的な人権擁護の文句を、実質のあるものにしてゆこうと、計画的に努力していないでしょうか。「日本人ほど抽象的な議論の好きな国民はない」という言葉に筆者は同感されています。それは一部には当っております。たとえば、・・・ 宮本百合子 「新しい卒業生の皆さんへ」
・・・云々と、民族自立の問題・主権在民の問題も――即ちポツダム宣言と新憲法の実質を左からぐるりと右へひとまわりさせたものにしようとしている。『テラス』や『ロマンス』などのような雑誌が、この頃ルポルタージュと称して戦記ものを記載しているのは、偶・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・けれども、こんにち日本がやっと人民の権利という文字をその中にふくんだ憲法をもつようになり、男女の人間的な対等が理解されて来たとき、四分の一世紀も前にかかれた「伸子」がこれまでになく広汎な各層の読者によまれているという事実は何を語っているだろ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)」
・・・ 第一次欧州大戦後のドイツが、ワイマール憲法をきめて、共和国となった当時最初の婦人参政権が行使され、一時に三十人の婦人代議士が出た。今年、はじめて選挙権を与えられた第二次大戦後のフランス婦人たちは三十二名の婦人代議士を選出し、なかに十七・・・ 宮本百合子 「一票の教訓」
・・・男女平等と憲法でかかれたとしても、男女が平等に十時間も十一時間も働いて、くたくたになって、かえったら眠って翌朝また出勤して来るだけのゆとりしかなかったら、その男女平等は、男女が平等に人間以下の条件におかれているというにすぎない。 男女が・・・ 宮本百合子 「いのちの使われかた」
メーデーからはじまって、五月は国民一般の祝日の多い月だった。憲法記念祭、子供の日、母の日。どれをとっても、それぞれに新しい日本に生きるよろこびとはげましと慰藉とを意味しないものはなかった。そしてそれらすべての心がめざすとこ・・・ 宮本百合子 「鬼畜の言葉」
・・・政府は、新しい民主憲法を、何故か世界民主国人民の祭日である五月一日に実効発生することをきらって、十一月三日に発布することにきめた。文部省は一億円という尨大な予算を憲法祭のためにとった。新歴史教科書もその関係で発表されたのであろう。 考え・・・ 宮本百合子 「『くにのあゆみ』について」
・・・ ところが、一八八九年憲法が発布されると同時に、人民の政治的な自由は、それによって基礎づけられてより活溌に展開されるべき筈が、却って、圧力を受けるようになった。憲法発布の翌年一八九〇年、大井幸子が自由党に加入することを警察が禁止し、「集・・・ 宮本百合子 「現実に立って」
出典:青空文庫