・・・少年時代に上記のごときおとぎ文学や小説戯曲に読みふけっているかたわらで、昆虫の標本を集めたり植物しょくぶつさくようを作ったり、ビールびんで水素を発生させ「歌う炎」を作ろうとして誤って爆発させたり、幻燈器械や電池を作りそこなったりしていたので・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・わたくしは曾て米国に在った時米国の俳優の演ずるモリエールの戯曲を聴くことを好まなかった。それと同じ理由から、わたくしは日本語に翻訳せられた西洋の戯曲と、殊に歌謡の演出に対して感興を催すことの甚困難であることを悲しむものである。 帝国劇場・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・ また私のここにいわゆる文芸は文学である、日本における文学といえば先小説戯曲であると思います。順序は矛盾しましたが、広義の教育、殊に、徳育とそれから文学の方面殊に、小説戯曲との関係連絡の状態についてお話致します。日本における教育を昔と今・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・換言すれば彼の戯曲のあるものは齣幕の組織において明かに比例を失している。だから比例だけを眼中に置いてマーチャント・オブ・ヴェニスを読むものは必ず失敗の作だと云うだろう。マーチャント・オブ・ヴェニスはこの点から読むべきものでないと云う事がわか・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・ この篇は事実らしく書き流してあるが、実のところ過半想像的の文字であるから、見る人はその心で読まれん事を希望する、塔の歴史に関して時々戯曲的に面白そうな事柄を撰んで綴り込んで見たが、甘く行かんので所々不自然の痕迹が見えるのはやむをえ・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ こういう工場内の悪質な分子を、労働者出の管理者及び彼を支持する労働者群がどんな困難を経て、克服して行くかといういきさつは、キルションの有名な戯曲「レールは鳴る」にもよく表現されている。 インガ・リーゼルが、知識階級から出た、教育と・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・ カターエフの作品とくらべて特に面白いのは、一方がいかにもインテリゲンチアの作家によってかかれた戯曲らしく整っていて、同時に農民の描写が観念的なのに対して「憤怒」の女小作人、若い農夫、村の女教員さえ、いかにも生きいき現実的にとらえられて・・・ 宮本百合子 「インターナショナルとともに」
・・・小説においては、済勝の足ならしに短篇数十を作り試みたが、長篇の山口にたどりついて挫折した。戯曲においては、同じ足ならしの一幕物若干が成ったのみで、三幕以上の作はいたずらに見放くる山たるにとどまった。哲学においては医者であったために自然科学の・・・ 森鴎外 「なかじきり」
・・・一歩を進めて言えば、古風な人には、西遊記の怪物の住みそうな家とも見え、現代的な人には、マアテルリンクの戯曲にありそうな家とも思われるだろう。 二月十七日の晩であった。奥の八畳の座敷に、二人の客があって、酒酣になっている。座敷は極めて殺風・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・看者を釣り込んで行こうとする戯曲家らしい狡計もある。しかし芸術家らしい直観も感情もほとんど認められない。画面全体の効果から言えば、氏の幼稚な趣味が氏の技巧を全然裏切っていると言っていい。『慈悲光礼讃』という画題は、氏がこの画を描こうとした時・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫