・・・犬は彼女の手の内に、ぶるぶる体を震わせていた。それが一瞬間過去の世界へ、彼女の心をつれて行った。お蓮はあの賑かな家にいた時、客の来ない夜は一しょに寝る、白い小犬を飼っていたのだった。「可哀そうに、――飼ってやろうかしら。」 婆さんは・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・「ええ、投銭、お手の内は頂きやせん、材あかしの本を売るのでげす、お求め下さいやし。」「ふむ……投銭は謝絶する、見識じゃな、本は幾干だ。」「五銭、」「何、」「へい、お立合にも申しておりやす。へい、ええ、ことの外音声を痛めて・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・べき始末となりしに俊雄もいささか辟易したるが弱きを扶けて強きを挫くと江戸で逢ったる長兵衛殿を応用しおれはおれだと小春お夏を跳ね飛ばし泣けるなら泣けと悪ッぽく出たのが直打となりそれまで拝見すれば女冥加と手の内見えたの格をもってむずかしいところ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・むしろ自己が、その焦点において、対手の内に没入しているのである。けれどもいかに自分を離れた気持ちになっていても、「自分」が「対手」になることはできない。対手の感情を感じながら、実はやはり自分自身の感情を感じているに過ぎない。いわば自己を客観・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫