・・・羽子も手鞠もこの頃から。で、追羽子の音、手鞠の音、唄の声々。……ついて落いて、裁形、袖形、御手に、蝶や……花。…… かかる折から、柳、桜、緋桃の小路を、麗かな日に徐と通る、と霞を彩る日光の裡に、何処ともなく雛の影、人形の影が・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・ ――大地、海水と相合うて、その形まどかなること手毬の如くにして、天、円のうちに居る。たとえば、鶏子の黄なる、青きうちにあるが如し。その地球の周囲、九万里にして、上下四旁、皆、人ありて居れり。凡、その地をわかちて、五大州となす。云々。・・・ 太宰治 「地球図」
・・・たちまち、けんけんごうごう、二匹は一つの手毬みたいになって、格闘した。赤毛は、ポチの倍ほども大きい図体をしていたが、だめであった。ほどなく、きゃんきゃん悲鳴を挙げて敗退した。おまけにポチの皮膚病までうつされたかもわからない。ばかなやつだ。・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・林檎の果実が手毬くらいに大きく珊瑚くらいに赤く、桐の実みたいに鈴成りに成ったのである。こころみにそのひとつをちぎりとり歯にあてると、果実の肉がはち切れるほど水気を持っていることとて歯をあてたとたんにぽんと音高く割れ冷い水がほとばしり出て鼻か・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・日本の昔でも手鞠や打毬や蹴鞠はかなり古いものらしい。 人間ばかりかと思うと、猫などが喜んで紙を丸めたボールをころがすのが、なんら直接功利的な目的があってするとは思われないから、やはりスポーツの一種らしく思われる。尤もこれは結果から見ると・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・細い脚でつかまられて、八つ手の手毬のような叢花がたわたわ揺れる。 昼過になった。日ざしが斜に樹木の葉うらから金色にさすようになった。文鳥は、垣根の外へまだ翔び去りはしない。けれども、今は自由に、右に左、庭じゅうを飛ぶ。人の近よる気勢にぱ・・・ 宮本百合子 「春」
出典:青空文庫