・・・姦淫したる女を石にて打つにたうる無垢の人ありや? イエスがこの問いを提出するまで誰も自分の良心に対してかく問い得なかった。財の私的所有ならびに商業は倫理的に正しきものなりや? マルクスが問うてみせるまで、常人はそれほどにも自分らの禍福の根因・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・それが吾々を打つ。 メリメは、水のように冷たい。そして、カッチリ纒りすぎる位いまとまっている。常に原始的な切ったり、はったり、殺し合いをやったりする、ロマンティックなことばかりを書いている。どんなことでも、かまわずにさっさと書いて行く、・・・ 黒島伝治 「愛読した本と作家から」
・・・網は御客自身打つ人もあるけれども先ずは網打が打って魚を獲るのです。といって魚を獲って活計を立てる漁師とは異う。客に魚を与えることを多くするより、客に網漁に出たという興味を与えるのが主です。ですから網打だの釣船頭だのというものは、洒落が分らな・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・実は、その日になると、俺は何時でも壁を打つことで、隣りの同志にイニシアチヴを取られてしまうのだ。今度こそ俺の方から先手を打ってやろう、と待っている、だが、その日になると、又もしてやられるんだ。――九月一日も、十月七日も、残念なことには「十一・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・末ちゃんを打つなら、さあとうさんを打て。」 と、私は箪笥の前に立って、ややもすれば妹をめがけて打ちかかろうとする次郎をさえぎった。私は身をもって末子をかばうようにした。「とうさんが見ていないとすぐこれだ。」と、また私は次郎に言った。・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・自分が近づけば、水の面が小砂を投げたように痺れを打つ。「おや、みんな沈みました」と藤さんがいう。自分は、水を隔てて斜に向き合って芝生に踞む。手を延ばすなら、藤さんの膝にかろうじて届くのである。水は薄黒く濁っていれど、藤さんの翳す袂の色を・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・それはわたしが途中から出てあの座に雇われたのだから、お前さんの方でわたしを撃つのなら、理屈があるわね。お前さんだって、わたしがあの地位に坐ったのを怨まないわけにはいかないでしょう。それはわたしのせいじゃないのだけれど。事によったらお前さんの・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・ろくに見もせず、相槌を打つ。「やっぱり梅は、紅梅よりもこんな白梅のほうがいいようですね。」「いいものだ。」すたすた行き過ぎようとなさる。私は追いかけて、「先生、花はおきらいですか。」「たいへん好きだ。」 けれども、私は看・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・頭脳が火のように熱して、顳がはげしい脈を打つ。なぜ、病院を出た? 軍医があとがたいせつだと言ってあれほど留めたのに、なぜ病院を出た? こう思ったが、渠はそれを悔いはしなかった。敵の捨てて遁げた汚い洋館の板敷き、八畳くらいの室に、病兵、負傷兵・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・始めて、幾何学のピタゴラスの定理に打つかった時にはそれでも三週間頭をひねったが、おしまいには遂にその証明に成効した。論理的に確実なある物を捕える喜びは、もうこの頃から彼のうら若い頭に滲み渡っていた。数理に関する彼の所得は学校の教程などとは無・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫