・・・僕は小えんの身になって見れば、上品でも冷淡な若槻よりも、下品でも猛烈な浪花節語りに、打ち込むのが自然だと考えるんだ。小えんは諸芸を仕込ませるのも、若槻に愛のない証拠だといった。僕はこの言葉の中にも、ヒステリイばかりを見ようとはしない。小えん・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・ 折から洲崎のどの楼ぞ、二階よりか三階よりか、海へ颯と打込む太鼓。 浴衣は静に流れたのである。 菊枝は活々とした女になったが、以前から身に添えていた、菊五郎格子の帯揚に入れた写真が一枚、それに朋輩の女から、橘之助の病気見舞を紅筆・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・大連が一台ずつ、黒塗り真円な大円卓を、ぐるりと輪形に陣取って、清正公には極内だけれども、これを蛇の目の陣と称え、すきを取って平らげること、焼山越の蠎蛇の比にあらず、朝鮮蔚山の敵軍へ、大砲を打込むばかり、油の黒煙を立てる裡で、お誓を呼立つるこ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・「磨いて見せるほどあたいが打ち込む男は、この国府津にゃアいないよ」とは、かの女がその時の返事であった。 住職の知り合いで、ある小銀行の役員をつとめている田島というものも、また、吉弥に熱くなっていることは、住職から聴いて知っていたが、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・もし真にわが一心をこの画幅とこの自然とに打ち込むなら大砲の音だって聞こえないだろうと。そこで画板にかじりつくようにして画きはじめた。しかし何の益にも立たない、僕の心は七分がた後ろの音に奪われているのだから。 そこでまたこうも思った、何も・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・強い南風に吹かれながら、乱石にあたる浪の白泡立つ中へ竿を振って餌を打込むのですから、釣れることは釣れても随分労働的の釣であります。そんな釣はその時分にはなかった、御台場もなかったのである。それからまた今は導流柵なんぞで流して釣る流し釣もあり・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・私は、五円の遊びに命を打ち込む。 私がカフェにはいっても、決して意気込んだ様子を見せなかった。遊び疲れたふうをした。夏ならば、冷いビールを、と言った。冬ならば、熱い酒を、と言った。私が酒を呑むのも、単に季節のせいだと思わせたかった。いや・・・ 太宰治 「逆行」
・・・皇室を民の心腹に打込むのも、かような機会はまたと得られぬ。しかるに彼ら閣臣の輩は事前にその企を萌すに由なからしむるほどの遠見と憂国の誠もなく、事後に局面を急転せしむる機智親切もなく、いわば自身で仕立てた不孝の子二十四名を荒れ出すが最後得たり・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・彼女は、光る鋲でとめられた垂布の、深い皺の間々に、額に汗を掻いて、太い釘を打ち込む彼の白い腕を見る事が出来た。彼女は、今、彼方の部屋で、広い寝台の上に安眠して居るだろう彼の様子を心に描いて見た。 母の書を思い遣る時、自ずから、彼女の胸を・・・ 宮本百合子 「樹蔭雑記」
・・・もやはり真摯に生きてゆく意図は自覚されながらその具体的な見透しとしての方向や方法がはっきりしないで、目前の事象と必要との中に一生懸命な自分を打込むという姿で主題は途切らされている作品である。人生的な態度をもった作家として五、六年前には「女の・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
出典:青空文庫