・・・自分が近寄ったのも気が付かぬか、一心に拾っては砂浜の高みへ投げ上げている。脚元近く迫る潮先も知らぬ顔で、時々頭からかぶる波のしぶきを拭おうともせぬ。 何処の浦辺からともなく波に漂うて打上がった木片板片の過去の歴史は波の彼方に葬られて、こ・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・ 善ニョムさんは、片手を伸すと、一握りの肥料を掴みあげて片ッ方の団扇のような掌へ乗せて、指先で掻き廻しながら、鼻のところへ持っていってから、ポンともとのところへ投げた。「いい出来だ、これでお天気さえよきゃあ豊年だぞい」 善ニョム・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・その中の一ツは出入りの安吉という植木屋が毎年々々手入の松の枯葉、杉の折枝、桜の落葉、あらゆる庭の塵埃を投げ込み、私が生れぬ前から五六年もかかって漸くに埋め得たと云う事で。丁度四歳の初冬の或る夕方、私は松や蘇鉄や芭蕉なぞに其の年の霜よけを為し・・・ 永井荷風 「狐」
・・・蝮蛇は之を路傍に見出した時土塊でも木片でも人が之を投げつければ即時にくるくると捲いて決して其所を動かない。そうして扁平な頭をぶるぶると擡げるのみで追うて人を噛むことはない。太十も甞て人を打擲したことがなかった。彼はすぐ怒るだけに又すぐに解け・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 薄紅の一枚をむざとばかりに肩より投げ懸けて、白き二の腕さえ明らさまなるに、裳のみは軽く捌く珠の履をつつみて、なお余りあるを後ろざまに石階の二級に垂れて登る。登り詰めたる階の正面には大いなる花を鈍色の奥に織り込める戸帳が、人なきをかこち・・・ 夏目漱石 「薤露行」
上 日清戦争が始まった。「支那も昔は聖賢の教ありつる国」で、孔孟の生れた中華であったが、今は暴逆無道の野蛮国であるから、よろしく膺懲すべしという歌が流行った。月琴の師匠の家へ石が投げられた、明笛を吹く青年等は非国民として擲られた・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ 私の胸の中では、毒蛇が鎌首を投げた。一歩一歩の足の痛みと、「今日からの生活の悩み」が、毒蛇をつッついたのだ。「おい、今んになって、口先で胡魔化そう、ったって駄目だよ。剥製の獣じゃあるめえし、傷口に、ただの綿だけ押し込んどいて、それ・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・と、裲襠を引き摺ッたまま走り寄り、身を投げかけて男の肩を抱いた。「ははははは。門迷いをしちゃア困るぜ。何だ、さッきから二階の櫺子から覗いたり、店の格子に蟋蟀をきめたりしていたくせに」と、西宮は吉里の顔を見て笑ッている。 吉里はわざと・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・譬えば母とか恋人とかいうようないなくなってから年を経たものがまた帰って来たように、己の心の中に暖いような敬虔なような考が浮んで、己を少年の海に投げ入れる。子供の時、春の日和に立っていて体が浮いて空中を飛ぶようで、際限しも無いあくがれが胸に充・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・○ベースボールに要するもの はおよそ千坪ばかりの平坦なる地面(芝生ならばなお善皮にて包みたる小球(直径二寸ばかりにして中は護謨、糸の類にて充実投者が投げたる球を打つべき木の棒(長さ四尺ばかりにして先の方やや太く手にて持つ処一尺四方ば・・・ 正岡子規 「ベースボール」
出典:青空文庫