・・・と聞いて見る慾望をどうにも抑えきれなくなった。云いかえれば人間はこんな状態になった時、一体どんな考を持つもんだろう、と云うことが知りたかったんだ。 私は思い切って、女の方へズッと近寄ってその足下の方へしゃがんだ。その間も絶えず彼女の目と・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・と、小万は押えて平田へ酌をして、「平田さん、今晩は久しぶりで酔ッて見ようじゃありませんか」と、そッと吉里を見ながら言ッた。「そうさ」と、平田はしばらく考え、ぐッと一息に飲み乾した猪口を小万にさし、「どうだい、酔ッてもいいかい」「そう・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・然るに今新に書を著わし、盗賊又は乱暴者あらば之を取押えたる上にて、打つなり斬るなり思う存分にして懲らしめよ。況んや親の敵は不倶戴天の讐なり。政府の手を煩わすに及ばず、孝子の義務として之を討取る可し。曾我の五郎十郎こそ千載の誉れ、末代の手本な・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 客の詞には押え切れない肝癪の響がある。「どうしたのだね。妙じゃないか。ジネストの奥さんに、わたしが来て待っているとそう云ったかね。ええ。」 下女は妙な笑顔をした。「あの、奥さんがお客様にお断り申してくれとそうおっしゃいました。」・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・夢の中に泣いて苦労に疲れて胸にはあくがれの重荷を負うて暖かい欲望を抑えながらも、熟すればわしの手に落ちるのが人生じゃ。主人。その熟している己ではないから、どうぞ許して貰いたい。己はまだこの世の土に噛り付いていたいのだ。お前に逢うての怖し・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・その火の勢が次第に強くなりて抑えきれぬために我が家まで焼くに至った。終には自分の身をも合せてその火中に投じた。世人は彼女を愚とも痴ともいうだろう。ある一派の倫理学者の如く行為の結果を以て善悪の標準とする者はお七を大悪人とも呼ぶであろう。この・・・ 正岡子規 「恋」
・・・とホモイのお父さんがガラスの箱を押えたので、狐はよろよろして、とうとう函を置いたまま逃げて行ってしまいました。 見ると箱の中に鳥が百疋ばかり、みんな泣いていました。雀や、かけすや、うぐいすはもちろん、大きな大きな梟や、それに、ひばりの親・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・第三の精霊は木のかげに居るまんまで手でかおを押えて居る。第一の精霊 ソレ、その様に自然に咲きほこって居る花を足の先でじゃらして何も忘れて居るのがお主にはよく美くしさとつりあって居るのじゃナ。今の一日はそうして気ままに歌をうとうて・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・まだ二十四歳の血気の殿様で、情を抑え欲を制することが足りない。恩をもって怨みに報いる寛大の心持ちに乏しい。即座に権兵衛をおし籠めさせた。それを聞いた弥五兵衛以下一族のものは門を閉じて上の御沙汰を待つことにして、夜陰に一同寄り合っては、ひそか・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・その時胸から小刀が抜けてはならないので、一人の押丁が柄を押さえていた。 二 ツァウォツキイは十六年間浄火の中にいた。浄火と云うものは燃えているものだと云うのは、大の虚報である。浄火は本当の火ではない。極明るい、薔薇色・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
出典:青空文庫