・・・ このように巧い結末を告げるときもあれば、また、――おれが、どのように恥かしくて、この押入れの前に呆然たちつくして居るか、穴あればはいりたき実感いまより一そう強烈の事態にたちいたらば、のこのこ押入れにはいろう魂胆、そんなばかげた、い・・・ 太宰治 「創生記」
・・・しかしそれから数時間の後に行って見ると、だれかが押し入れの中にオルガンの腰掛けを横にして作ってやった穴ぼこの中に三毛が横に長くねそべって、その乳房にこの子猫が食いついていた。子猫はポロ/\/\とかすかに咽喉を鳴らし、三毛はクルークルーと今ま・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・ 科学の応用が尊重される今日に、天井や押し入れの内にねずみのはいらないくらいの方法はいくらでもできそうなものだと思う。ある学者は天井裏に年じゅう電燈をともしているそうであるがこの方法はいかに有効でもわれわれには少しぜいたくすぎるような気・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・さに噴き上げている水と蒸気を止めるために大勢の人夫が骨を折って長三間、直径二インチほどの鉄管に砂利をつめたのをやっと押し込んだが噴泉の力ですぐに下から噴き戻してしまうので、今度は鉄管の中に鉄棒を詰めて押し入れたらやっと噴出が止まった。その止・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・せっかくの形見ではあるがどうも自分の趣味に合わないので、押し入れの中にしまい込んだままに年を経た。大掃除のときなどに縁側に取り出されているこの銅の虎を見るたびに当時の記憶が繰り返される。大掃除の時季がちょうどこの思い出の時候に相当するのであ・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・母上はねえさんと押し入れから子供の着物など引きちらして何か相談している。新聞を広げた上に居眠りを始めている人もある。酒のにおいのこもった重くるしいうっとうしい空気が家の中に満ちて、だれもかれも、とんと気抜けのしたようなふうである。台所ではお・・・ 寺田寅彦 「竜舌蘭」
・・・朝押し入れから蒲団や行李を引き出して荷造りをしている間にも、宿を移ったとて私はどうなるだろうと思う。叔父さんや弟は、宿でも変えて気分を新たにしたら学校へ行けるような心持ちになるだろうという。私は学校のほうへ一歩も向かう勇気はもうない。いやだ・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・そして黙って押入れをあけて二枚のうすべりといの角枕をならべて置いてまた台所の方へ行った。 二人はすっかり眠る積りでもなしにそこへ長くなった。そしてそのままうとうとした。ダーダーダーダーダースコダーダー 強い老人らしい声が・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・ 事務員らしいてきぱきさで、小枝子はすぐ仕事机の隅の風呂敷包みをひろげ、三尺の押入れを衣裳箪笥まがいにしたところに吊ってある縫いかけのスーツの上着を出した。小枝子が来るようになってもう一年以上経った。事務員では何年つとめていても技術がつ・・・ 宮本百合子 「二人いるとき」
・・・その下は押入れになっている。煖炉があるのに、枕元に真鍮の火鉢を置いて、湯沸かしが掛けてある。その傍に九谷焼の煎茶道具が置いてある。小川は吭が乾くので、急須に一ぱい湯をさして、茶は出ても出なくても好いと思って、直ぐに茶碗に注いで、一口にぐっと・・・ 森鴎外 「鼠坂」
出典:青空文庫