・・・云わば彼の心もちは強敵との試合を目前に控えた拳闘家の気組みと変りはない。しかしそれよりも忘れられないのはお嬢さんと顔を合せた途端に、何か常識を超越した、莫迦莫迦しいことをしはしないかと云う、妙に病的な不安である。昔、ジァン・リシュパンは通り・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・彼は生涯女の後を追い続けたが、私は静子がやがて某拳闘選手と二人で満州に走った時、満州は遠すぎると思った。追いもせず大阪に残った私は、いつか静子が角力取りと拳闘家だけはまだ知らないと言っていたのを思い出して、何もかも阿呆らしくなってしまい、も・・・ 織田作之助 「世相」
・・・私が東京の大学へはいって、郷里の先輩に連れられ、赤坂の料亭に行った事があるけれども、その先輩は拳闘家で、中国、満洲を永い事わたり歩き、見るからに堂々たる偉丈夫、そうしてそのひとは、座敷に坐るなり料亭の女中さんに、「酒も飲むがね、酒と一緒・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・犬に飽きて来たら、こんどは自分で拳闘に凝り出した。中学で二度も落第して、やっと卒業した春に、父と乱暴な衝突をした。父はそれまで、勝治の事に就いては、ほとんど放任しているように見えた。母だけが、勝治の将来に就いて気をもんでいるように見えた。け・・・ 太宰治 「花火」
・・・ 二 ロス対マクラーニンの拳闘 この試合は十五回の立合の後までどちらも一度もよろけたり倒れかかるようなことはなかった。そうして十五回の終りに判定者がロスの方に勝利を授けたが、この判定に疑問があるというので場内が大混・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・ 九 カルネラ対ベーア 拳闘というものはまだ一度も実見したことがない。ただ、時々映画で予期以外の付録として見せられることはあるが、今までこの競争に対して特別の興味をよびさまされることはついぞなかったようである。し・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ 拳闘場の鉄梯子道の岐路でこの二人が出会っての対話の場面と、最後に監獄の鉄檻の中で死刑直前に同じ二人が話をする場面との照応にはちょっとしたおもしろみがある。 ゲーブルの役の博徒の親分が二人も人を殺すのにそれが観客にはそれほどに悪逆無・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・眠っているように思っている植物が怪獣のごとくあばれ回ったり、世界的拳闘選手が芋虫のように蠢動するのを見ることもできるのである。 時間の尺度の変更は、同時に、時間を含むあらゆる量の変更を招致することはもちろんである。まず第一に速度であるが・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・アメリカン・レビューにはそういう古典的な意味での音楽などはない代りに、オリンピックのグラウンドや拳闘のリンクに見らるる活力の鼓動と本能の羽搏きのようなものをいくらかでも感ずることが出来るのであった。 それほどにも国々の国民性がこんな演芸・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・ 前に、シベリアで知り合った日本人の女房でロシア人、亭主より先にかえって来た、女の友達でフーシェ嬢という女の拳闘家あり、そんな男つまらぬと云って、同じ仲間のボクサーをとりもつ。二人出来る。亭主がかえって来たので東京に来たが男から手紙・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
出典:青空文庫