・・・例ば書方を学ぶにしても同じ先生の弟子は十人が十人全く同じような字を書いて居るが、だんだん年をとって経験を積み一個の見識が出来るに従って自ら各の持前の特色が現われて来て、ようように字風が違って来ると同じ事に俳句でも或点まで一致した後は他人の真・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ ソヴェト同盟では、そういうプロレタリア文学の新形式にまだこれぞといってきまった名がつけられなかったうちに、ドイツ人が持ち前の学者気質で「報告文学」という名称を与えた。 同時に、若いコムソモール等が、職業的な作家としてではなく党員と・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ 母親は、持ち前の性質から、矢張り、そんな犬の仔の話などしておれない気持になり、段々焦立って、遂には議論を私に向ってふきかけ始めるのであった。「私はね、それが正しいことだとさえ分れば、よろこんでお前の踏台になりますよ。ああ、命なんぞ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・持つ迄持つということは、つまり私は生きていられるだけ生きていられるということで、私が持ち前のたっぷりや的生存を自信をもって或期間つづけ得ると云うことです。私の知識と意志で出来るだけ衛生に叶った生活法をやって行って、さて、主観的に自覚されない・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・元気ながら持ち前のおもいやりでいたわられながら歓談したらきっと人足仕事などを心がけないでも、もっともっと詩趣豊かにほっこりするでしょうのにね。 重い病気から回復してゆく間のこういう感情は、私として始めての経験です。あなたはきっとこの数年・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・この作家の持ち前のなだらかに弾力ある生活の力は、少女時代から結婚生活十七年の今日までの間に、社会の歴史の推移について妻の境涯もなかなかの波瀾を経て来ていて、しかも、それぞれの時期を本気で精一杯に生きて来ている。十六の少女として父さんと浜で重・・・ 宮本百合子 「『暦』とその作者」
・・・そして持前のしんねりむっつりした様子で、妙な話をし出した。 参 戸川は両手を火鉢に翳して、背中を円くして話すのである。「そりゃあ独身生活というものは、大抵の人間には無難にし遂げにくいには違ない。僕の同期生に宮・・・ 森鴎外 「独身」
・・・ 主人は持前の苦笑をした。「今一つの肉は好いが、営口に来て酔った晩に話した、あの事件は凄いぜ。」こう云って、女房の方をちょいと見た。 上さんは薄い脣の間から、黄ばんだ歯を出して微笑んだ。「本当に小川さんは、優しい顔はしていても悪党だ・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・謙介は成長してから父に似た異相の男になったが、後日安東益斎と名のって、東金、千葉の二箇所で医業をして、かたわら漢学を教えているうちに、持ち前の肝積のために、千葉で自殺した。年は二十八であった。墓は千葉町大日寺にある。 浦賀へ米艦が来・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・ですけれどそれを申さないのが女の心理上の持前なのでございますわ。男。ああ。わたくしはなんと云う馬鹿でしょう。貴夫人。まあ、それはそうといたして置いて、あとをお話申しましょうね。さっき申しましたでしょう。最初はあなたが送ってやろうとお・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
出典:青空文庫