・・・、頗る西洋の文明を悦び、一切万事改進進歩を気取りながら、其実は支那台の西洋鍍金にして、殊に道徳の一段に至りては常に周公孔子を云々して、子女の教訓に小学又は女大学等の主義を唱え、家法最も厳重にして親子相接するにも賓客の如く、曾て行儀を乱りたる・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・その有様に密接すること、同居人が眠食をともにするが如くなるがゆえなり。その相接すること密に過ぎ、かえって他の全体を見ること能わずして、局処をうかがうに察々たるがゆえなり。なお、かの、山を望み見ずして山に登りて山を見るが如く、とうてい物の真情・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・いわゆる手もて口に接する小児の如き、これなり。野蛮未開、耕して食らい井を掘りて飲むが如き、これなり。すでに食らいすでに飲むときは、口腹の慾、もって満足すべしといえども、なお足らざるものあり。衣服なかるべからず、住居なかるべからず。衣食住居す・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・――そんな意味で、ひとりでに、極自由な、溌溂と全幅の真面目を発揮する氏の風貌に接する機会のなかったのは残念であった。〔一九二五年十二月〕 宮本百合子 「狭い一側面」
・・・「私なんか女中に接する場合が少ないせいかそんなに知りません。 それに又知ろうとした事もありませんからねえ」「生理的にも精神的にも違います。 特別な点に気がついてねえ、 奉公人根性をどうしたって無くさせる事は出来ません・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・ 知識慾の燃える者は、その方向から、軟かな、当途のない情緒に満ちたものは、只漠然とした好もしさから、先生に接する程のものは、皆、先生を敬愛した。然し、なれ易いところはなかった。 今になって考えれば、理想主義的現実主義とでも云うべき先・・・ 宮本百合子 「弟子の心」
・・・この男は本国姫路にいるので、こう云う席には列することが出来なかったが、訃音に接するや否や、弔慰の状をよこして、敵討にはきっと助太刀をすると誓ったのである。姫路ではこの男は家老本多意気揚に仕えている。名は山本九郎右衛門と云って当年四十五歳にな・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ 自ら直接に皇室に接することのできる人々は別である。一平民として今自ら皇室を警衛しようと欲するものは、一体どういう手段を取ればいいのか。それには、正規の手続きを経て、軍人、巡査、警手などになればよい。しかし父はもう老年でこの内のどれにも・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・脱我の立場において異境の風物が語られるとき、我々はしばしば驚異すべき観察に接する。人間を取り巻く植物、家、道具、衣服等々の細かな形態が、深い人生の表現としての巨大な意義を、突如として我々に示してくれる。風物記はそのままに人間性の表現の解釈と・・・ 和辻哲郎 「『青丘雑記』を読む」
・・・私はいかに峻厳な先生の表情に接する時にも、先生の温情を感じないではいられなかった。 私が先生を近寄り難く感じた心理は今でも無理とは思わない。私は現在同じ心理を、自分の敬愛する××先生に対して経験している。それはおそらく自分の怯懦から出る・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫