・・・がらっと箸を措くと泥だらけなびしょぬれな着物のままでまたぶらりと小屋を出た。この村に這入りこんだ博徒らの張っていた賭場をさして彼の足はしょう事なしに向いて行った。 よくこれほどあるもんだと思わせた長雨も一カ月ほど降・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・七二十一日目の朝、念が届いてお宮の鰐口に縋りさえすれば、命の綱は繋げるんだけれども、婆に邪魔をされてこの坂が登れないでは、所詮こりゃ扶からない、ええ悔しいな、たとえ中途で取殺されるまでも、お参をせずに措くものかと、切歯をして、下じめをしっか・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・来やがって、村の鍛冶に打たせりゃ、一丁二十銭ずつだに、お前の鎌二十二銭は高いとぬかすんです、それから癪に障っちゃったんですから、お前さんの銭ゃお前さんの財布へしまっておけ、おれの鎌はおれの戸棚へ終って措くといって、いきなり鎌を戸棚へ終っちゃ・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・れど、片道一里もあるところをたった二合ずつ買いに遣されて、そして気むずかしい日にあ、こんなに量りが悪いはずはねえ、大方途中で飲んだろう、道理で顔が赤いようだなんて無理を云って打撲るんだもの、ほんとに口措くってなりやしない。」「ほんとに嫌・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ お絹からいえば、道太に皆ながつれていってもらうのに、辰之助を差し措くことはその間に何か特別の色がつくようで、気に咎めた。辰之助を除外すれば、色気はないにしても、慾気か何かの意味があって、道太を引きつけておくように、道太の姉たちに思われ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・今徳富君の業を誦むに及んで感歎措くことあたわず。破格の一言をなさざるを得ず。すなわちこれを書し、もってこれを還す。 明治二十年一月中旬高知 中江篤介 撰 中江兆民 「将来の日本」
・・・分子はしばらく措く。天下は箸の端にかかるのみならず、一たび掛け得れば、いつでも胃の中に収まるべきものである。 また思う百年は一年のごとく、一年は一刻のごとし。一刻を知ればまさに人生を知る。日は東より出でて必ず西に入る。月は盈つればかくる・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・ 古来、暴君汚吏の悪政に窘められて人民手足を措くところなしなどと、その時にあたりては物論はなはだ喧しといえども、暴君去り汚吏除くときは、その余殃を長く社会にとどめることなし。けだし暴君汚吏の余殃かくの如くなれば、仁君名臣の余徳もまた、か・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・而るに弟子は召ぶを知って逐うを知らぬので、満屋皆水なるに至って周章措く所を知らなかったということがある。当時の新聞雑誌はこの弟子であった。予はこれを語るにつけても、主筆猪股君がこの原稿に接して、早く既に同じ周章をせねば好いがと懸念する。予の・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・しかし私の事は姑く措くとして、君は果して東京で師事すべき人を求めることの出来ぬ程、ドイツ語に通じているか。失敬ながら私はそれを疑う。こう云いつつ、私は机の上にあった Wundt を取って、F君の前に出して云った。これは少し専門に偏った本で、・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫