・・・私の脛へひやりととまったり、両脚を挙げて腋の下を掻くような模ねをしたり手を摩りあわせたり、かと思うと弱よわしく飛び立っては絡み合ったりするのである。そうした彼らを見ていると彼らがどんなに日光を恰しんでいるかが憐れなほど理解される。とにかく彼・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・しばらく見ていると、その青蛙はきまったように後足を変なふうに曲げて、背中を掻く模ねをした。電燈から落ちて来る小虫がひっつくのかもしれない。いかにも五月蠅そうにそれをやるのである。私はよくそれを眺めて立ち留っていた。いつも夜更けでいかにも静か・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
・・・沖の鳥貝を掻く船を指して、どの船も帆を三つずつ横向きにかけている。両端から二本の碇綱を延しているゆえ、帆に風を孕んでも船は動かない。帆が張っているから碇綱は弛まぬ。鳥貝は日に干して俵に詰めるのだなどと言う。浪が畠の下の崖に砕ける。日向がもく・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・作品を発表するという事は、恥を掻く事であります。神に告白する事であります。そうして、もっと重大なことは、その告白に依って神からゆるされるのでは無くて、神の罰を受ける事であります。自分には、いつも作品だけが問題です。作家の人間的魅力などという・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・私は買物は、下手なほうではなかったのですけど、このごろは、肉もおさかなも、なんにも買えませんので、市場で買物籠さげて立ったまま泣きべそを掻く事があります。」したたかに、しょげている。 私は自分の頓馬を恥じた。海苔が無いとは知らなかった。・・・ 太宰治 「新郎」
・・・泣きべそを掻くような気持であった。 僕は今でもそうだが、こんな時には、お祭りに連れて行かれず、家にひとり残された子供みたいな、天をうらみ、地をのろうような、どうにもかなわない淋しさに襲われるのだ。わが身の不幸、などという大袈裟な芝居がか・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・突きおとされた豆腐屋の末っ子は落下しながら細長い両脚で家鴨のように三度ゆるく空気を掻くようにうごかして、ぼしゃっと水面へ落ちた。波紋が流れにしたがって一間ほど川下のほうへ移動してから波紋のまんなかに片手がひょいと出た。こぶしをきつく握ってい・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ ぶち込まれてから吠面掻くな……。 仰向けに、天井板を見つめながら、ヒクヒクと、うずく痛みを、ジッと堪えた。 会社がロックアウトをして以来、モウかれこれ四十日である。印刷機械の錆付きそうな会社の内部に在って、利平達は、職長仲間の団体・・・ 徳永直 「眼」
・・・ゆるく掻く水は、物憂げに動いて、一櫂ごとに鉛の如き光りを放つ。舟は波に浮ぶ睡蓮の睡れる中に、音もせず乗り入りては乗り越して行く。蕚傾けて舟を通したるあとには、軽く曳く波足と共にしばらく揺れて花の姿は常の静さに帰る。押し分けられた葉の再び浮き・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・撫でるこの身体が私かと云うと、そうも行かない。痒い痛いと申す感じはある。撫でる掻くと云う心持ちはある。しかしそれより以外に何にもない。あるものは手でもない足でもない。便宜のために手と名づけ足と名づける意識現象と、痛い痒いと云う意識現象であり・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
出典:青空文庫