・・・そこへ茣蓙なんぞ敷きまして、その上に敷物を置き、胡坐なんぞ掻かないで正しく坐っているのが式です。故人成田屋が今の幸四郎、当時の染五郎を連れて釣に出た時、芸道舞台上では指図を仰いでも、勝手にしなせいと突放して教えてくれなかったくせに、舟では染・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・木下繁ももはや故人だが、一時は研究所あたりに集まる青年美術家の憧憬の的となった画家で、みんなから早い病死を惜しまれた人だ。 その時になって見ると、新しいものを求めて熱狂するような三郎の気質が、なんとなく私の胸にまとまって浮かんで来た。ど・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・これは、必ずしも、故人の日記、そのままの姿では無い。ゆるして、いただきたい。かれが天稟の楽人ならば、われも不羈の作家である。七百頁の「葛原勾当日記」のわずかに四十分の一、青春二十六歳、多感の一年間だけを、抜き書きした形であるが、内容に於て、・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・すなわち、故人、入江新之助氏の遺家族のスケッチに違いないのである。もっとも、それは必ずしも事実そのままの叙述ではなかった。大げさな言いかたで、自分でも少からず狼狽しながら申し上げるのであるが、謂わば、詩と真実以外のものは、適度に整理して叙述・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ 疾くに故人となった甥の亮が手製の原始的な幻燈を「発明」したのは明らかにこれらの刺激の結果であったと思われる。その「器械」は実に原始的なものであった。本箱の上に釘を二本立ててその間にわずかに三寸四角ぐらいの紙を張ったのがスクリーンである・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・今はもう皆故人となった佐野さん須藤さん大谷さんなどの諸先輩の快活で朗かな論争もその当時のコロキウムの花であった。アインシュタインの相対性原理の最初の論文を当時講師であった桑木さんが紹介され、それが種となって議論の花を咲かせたのもその頃の事で・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・ 大正四、五年頃、今は故人となった佐野静雄博士から伊豆伊東の別荘に試植するからと云って土佐の楊梅の苗を取寄せることを依頼された。郷里の父に頼んで良種を選定し、数本の苗を東京へ送ってもらった。これがさらに佐野博士の手で伊東に送られ移植され・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・しかし故人がそういう方面の内幕話に興味を有ち、またそういう材料の供給者を有っていた事はたしかである。 子規は世の中をうまく渡って行く芸術家や学者に対する反感を抱くと同時に、また自分に親しい芸術家や学者が世の中をうまく渡る事が出来なくて不・・・ 寺田寅彦 「子規の追憶」
・・・その後には二枚折の屏風に、今は大方故人となった役者や芸人の改名披露やおさらいの摺物を張った中に、田之助半四郎なぞの死絵二、三枚をも交ぜてある。彼が殊更に、この薄暗い妾宅をなつかしく思うのは、風鈴の音凉しき夏の夕よりも、虫の音冴ゆる夜長よりも・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・余は此手紙を見る度に何だか故人に対して済まぬ事をしたような気がする。書きたいことは多いが苦しいから許してくれ玉えとある文句は露佯りのない所だが、書きたいことは書きたいが、忙がしいから許してくれ玉えと云う余の返事には少々の遁辞が這入って居る。・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』中篇自序」
出典:青空文庫