・・・「救援会」の人だった。然し母親は、駐在所の旦那が云っているように、あんな恐ろしいことをした息子の面倒を見てくれるという不思議な人も世の中にはいるもんだと思って、何んだか訳が分らなかった。然しそれでも帰るときには何べんも何べんもお辞儀した。―・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・ 私は自分の娘が監獄にはいったからといって、救援会にノコ/\やってくるのが何だかずるいような気がしてならないのですが…… 娘は二三ヵ月も家にいないかと思っていると、よく所かつの警察から電話がかゝってきました。お前の娘を引きとるの・・・ 小林多喜二 「疵」
・・・ 戦傷者で溢れた野戦病院から、放射線治療班の救援を求める通知がキュリー夫人宛にとどく。マリアは大急ぎで自分の車の設備を調べる。兵士の運転手がガソリンをつめている間に、マリアはいつもながらの小さい白カラーのついた黒い服の上に外套をはおり、・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・ 一九二一年に起ったクロンシュタットの赤色海軍兵の局部的な暴動は、ソヴェト同盟国内戦後の饑饉救援という名目でアメリカから、妙な連中が入り込んだ。アメリカ毛布、アメリカ製ビスケットにかこつけたからくりが、この暴動の種であったということを今・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・音楽サークル、文学サークル、演劇サークル、赤色救援会の組織などがある。五ヵ年計画でキネマ館が一万五千三百軒から八万七百軒にふえる。ラジオは四百万人が聴くようになる。 実際、ソヴェト同盟は働く者の国だ! 芝居、音楽会、キネマなんかを見るの・・・ 宮本百合子 「ソヴェト労働者の解放された生活」
・・・見張所は応急救援所をかねている。 二時間ばかり泥水と炭塵にまびれて上って来ると、ドミトロフ君は私を風呂へ案内した。よそから来たものだけを入れる体裁の風呂ではない。みんな一日七時間――八時間の労働をすますと、風呂で体を洗って家へ帰るように・・・ 宮本百合子 「ドン・バス炭坑区の「労働宮」」
・・・三宅やす子の『ウーマンカレント』を中心とし小規模の救援事業をした。野上彌生子とこれらの数年間に知る。一九二四年春ごろから少し書くことができるようになった。「心の河」「イタリアの古陶」等。湯浅芳子を知る。夏・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・四・一六の前から、救援運動を通じごく実践的に組織されて来た婦人部だし、みんな年配で経験は深いし、ソヴェト同盟農村託児所の話、産院、休みの家、勤労婦人の種々な権利についての話は、実際の興味をひいた。 ソヴェト同盟の話は、われわれの今日の情・・・ 宮本百合子 「飛行機の下の村」
出典:青空文庫