・・・よくも汝が餓鬼どもさ教唆けて他人の畑こと踏み荒したな。殴ちのめしてくれずに。来」 仁右衛門は火の玉のようになって飛びかかった。当の二人と二、三人の留男とは毬になって赤土の泥の中をころげ廻った。折重なった人々がようやく二人を引分けた時は、・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・一家の害悪を止むるに非ずして却てこれを教唆するものなり。然かのみならず不品行にして狡猾なる奴輩は、己が獣行を勝手にせんとして流石に内君の不平を憚り、乃ち策を案じて頻りに其歓心を買い其機嫌を取らんとし、衣裳万端その望に任せて之を得せしめ、芝居・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・様々の面で復古趣味が見られるが、武人とその妻との関係も、今日では女の虚栄心が良人の行為の教唆者或は責任者として押し出されているというまことに興味ある新例が、前工廠長官夫人の場合に示されたと思う。虚栄心は実際多くの大小不幸の源泉となって来てい・・・ 宮本百合子 「暮の街」
・・・ 大体、文学をこめてのプロレタリア芸術一般にとって、諷刺的手法が正しい効果をもつ場合は、諷刺そのものがただ題材の或る矛盾面の抉出だけに終らず、積極的な建設的な教唆、暗示、明示等を含んでいる時に限られる。プロレタリア芸術の諷刺とブルジョア・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・「往来危険罪で処断」と最悪の場合は死刑までふくむ法文を引用して見解を示している。 ところが事件の十五日夜アリバイがはっきりしているために「やや焦燥の色濃い東京地検堀検事正、馬場次席検事は」「教唆罪もあり得る」と語っている。検事のこの言葉・・・ 宮本百合子 「犯人」
・・・母上は、自分が、完く仕様のない母として故意に描かれて居ると思い込み、始めは、Aが、私を教唆して、あれを書かせたと迄、思われたのだ。 自分が如何う云う内的の動機で書いたか、説明は耳では聞かれる。が、心に些も入らない。 九月の初旬、母は・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
・・・心の中には、哀れな孝行娘の影も残らず、人に教唆せられた、おろかな子供の影も残らず、ただ氷のように冷ややかに、刃のように鋭い、いちの最後のことばの最後の一句が反響しているのである。元文ごろの徳川家の役人は、もとより「マルチリウム」という洋語も・・・ 森鴎外 「最後の一句」
出典:青空文庫