・・・書物は香炉の火の光に、暗い中でも文字だけは、ぼんやり浮き上らせているのです。 婆さんの前には心配そうな恵蓮が、――いや、支那服を着せられた妙子が、じっと椅子に坐っていました。さっき窓から落した手紙は、無事に遠藤さんの手へはいったであろう・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・彼らは第四階級以外の階級者が発明した文字と、構想と、表現法とをもって、漫然と労働者の生活なるものを描く。彼らは第四階級以外の階級者が発明した論理と、思想と、検察法とをもって、文芸的作品に臨み、労働文芸としからざるものとを選り分ける。私はそう・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・音文字が採用されて、それで現すに不便な言葉がみんな淘汰される時が来なくちゃ歌は死なない。B 気長い事を言うなあ。君は元来性急な男だったがなあ。A あまり性急だったお蔭で気長になったのだ。B 悟ったね。A 絶望したのだ。B・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・瞬間に人間の運命を照らす、仙人の黒き符のごとき電信の文字を司ろうと思うのです。 が、辞令も革鞄に封じました。受持の室の扉を開けるにも、鍵がなければなりません。 鍵は棄てたんです。 令嬢の袖の奥へ魂は納めました。 誓って私は革・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ゆる建築露路木石器具態度等総てそれ自身の総てが趣味である、配合調和変化等悉く趣味の活動である、趣味というものの解釈説明が出来ない様に茶の湯は決して説明の出来ぬものである、香をたくというても香のかおりが文字の上に顕われない様な訳である、若し記・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・ 下手くそな仮名文字だが、やッとその意だけは通じている。さきに僕がかの女のお袋に尋ねて、吉弥は小学校を出たかというと、学校へはやらなかったので、わずかに新聞を拾い読みすることが出来るくらいで、役者になってもせりふの覚えが悪かろうと答える・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・袋の文字は大河内侯の揮毫を当時の浅草区長の町田今輔が雕板したものだそうだ。慾も得もない書放しで、微塵も匠気がないのが好事の雅客に喜ばれて、浅草絵の名は忽ち好事家間に喧伝された。が、素人眼には下手で小汚なかったから、自然粗末に扱われて今日残っ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・例えばこれが労働者の唄う歌にしろ、或は革命の歌にしろ、文字となってまず先きに現われるということは事実である。そして、芸術の形をつくるのである。それは最も感激的に、短い言葉である。魂の赤裸々な叫びを見せている。それが詩である。 いまこゝに・・・ 小川未明 「詩の精神は移動す」
・・・などという言い方は、たぶん講義録で少しは横文字をかじった影響でしょうが、その講義録にしたところで、最初の三月分だけ無我夢中で読んだだけ、あとはもう金も払いこまず、したがって送ってもこなかった。が、私はえらくなろうという野心――野心といったの・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ドル臭しとは黄金の力何事をもなし得るものぞと堅く信じ、みやびたる心は少しもなくて、学者、宗教家、文学者、政治家の類を一笑し倒さんと意気込む人の息気をいう、ドルの文字はまたアメリカ帰りの紳士ちょう意をも含めり。詳しき説明は宇都宮時雄の君に請い・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
出典:青空文庫