・・・たとえば「絶望があった。断崖に面した時のような絶望が。憤激があった。押えても押えてもやり切れぬ憤激が。惨めさがあった。泣いても泣いても泣き切れぬ惨めさが。恩愛も、血縁も、人格的なつながりもない……から死命を制せられている自分!」うたい上げら・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・とは、後篇の抒情性そのものさえごく観念的にまとめあげられている作品であるから、その作品の世界のなかでいくつかの断崖をなしている観念の矛盾はおのずからくっきりと読者の目にも映じ、作者自身がよそめに明らかなその矛盾を知ろうとしないので、まるでそ・・・ 宮本百合子 「観念性と抒情性」
八月七日 [自注1]〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 モネー筆「断崖」」の絵はがき)〕 手紙に書きもらしましたから一寸。多賀ちゃんから先程手紙で、病気は何でもなく保健所でレントゲン透視をしてもらったら、どこ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・広々とした七月の空、数間彼方の草原に岬のように突出ている断崖、すべて明快で、呑気な赤帽の存在とともに、異国的風趣さえあった。 鎌倉は、海岸を離れると、山がちなところだ。私にとって鎌倉といえば、海岸より寧ろ幾重にも重なって続く山々――・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・そして銀色に光る山の巓が一つ見え二つ見えて来た。フランツが二度目に出掛けた頃には、巓という巓が、藍色に晴れ渡った空にはっきりと画かれていた。そして断崖になって、山の骨のむき出されているあたりは、紫を帯びた紅ににおうのである。 フランツが・・・ 森鴎外 「木精」
・・・夕日木梢に残りて、またここかしこなる断崖の白き処を照せり。忽虹一道ありて、近き山の麓より立てり。幅きわめて広く、山麓の人家三つ四つが程を占めたり。火点しごろ過ぎて上田に着き、上村に宿る。 十八日、上田を発す。汽車の中等室にて英吉利婦人に・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・その居眠りは、馬車の上から、かの眼の大きな蠅が押し黙った数段の梨畑を眺め、真夏の太陽の光りを受けて真赤に栄えた赤土の断崖を仰ぎ、突然に現れた激流を見下して、そうして、馬車が高い崖路の高低でかたかたときしみ出す音を聞いてもまだ続いた。しかし、・・・ 横光利一 「蠅」
出典:青空文庫