・・・ 十一 妾宅の新年は寂しかった。門には竹が立てられたり、座敷には蓬莱が飾られたりしても、お蓮は独り長火鉢の前に、屈托らしい頬杖をついては、障子の日影が薄くなるのに、懶い眼ばかり注いでいた。 暮に犬に死なれて・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・小説家堀川保吉はある婦人雑誌の新年号の口絵に偶然三重子を発見した。三重子はその写真の中に大きいピアノを後ろにしながら、男女三人の子供と一しょにいずれも幸福そうに頬笑んでいる。容色はまだ十年前と大した変りも見えないのであろう。目かたも、――保・・・ 芥川竜之介 「早春」
・・・僕はこう言う夢の中からがたがた言う音に目をさました。それは書斎と鍵の手になった座敷の硝子戸の音らしかった。僕は新年号の仕事中、書斎に寝床をとらせていた。三軒の雑誌社に約束した仕事は三篇とも僕には不満足だった。しかし兎に角最後の仕事はきょうの・・・ 芥川竜之介 「年末の一日」
・・・今の月が上弦だろうが下弦だろうが、今夜がクリスマスだろうが、新年だろうが、外の人間が為合せだろうが、不為合せだろうが構わないという風でいるのね。人を可哀いとも思わなければ、憎いとも思わないでいるのね。鼠の穴の前に張番をしている鸛のように動か・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・御多忙中を大変恐縮に存じますが、本紙新年号文芸面のために左の玉稿たまわりたく、よろしくお願いいたします。一、先輩への手紙。二、三枚半。三、一枚二円余。四、今月十五日。なお御面倒でしょうが、同封のハガキで御都合折り返しお知らせ下さいますようお・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・おや、忘れていました。新年おめでとうございます。元旦。 あなたは私をおだましなさいました。あなたは私に、第二、第三の風の便りをも書かせると約束して置きながら、たっぷり葉書二枚ぶんのおかしな賀状の文句を書かせたきりで、私を死な・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・シロオテは降りしきる雪の中で、悦びに堪えぬ貌をして、私が六年さきにヤアパンニアに使するよう本師より言いつけられ、承って万里の風浪をしのぎ来て、ついに国都へついた、しかるに、きょうしも本国にあっては新年の初めの日として、人、皆、相賀するのであ・・・ 太宰治 「地球図」
・・・「おめでとう。新年おめでとう。」 私はそんな事を前田さんに、てれ隠しに言った。 前田さんは、前は洋装であったが、こんどは和服であった。おでんやの土間の椅子に腰かけて、煙草を吸っていた。痩せて、背の高いひとであった。顔は細長くて蒼・・・ 太宰治 「父」
・・・でも一九六五年あたりの新年号に書くことになるかもしれない。そう思うと少し淋しい心持もするのである。 寺田寅彦 「新年雑俎」
・・・ 病人の容体はよいとも悪いともつかぬうちに年は容捨なく暮れてしまう。新年を迎える用意もしなければならぬが、何を買ってどうするものやらわからぬ。それでも美代が病人のさしずを聞いてそれに自分の意見を交ぜて一日忙しそうに働いていた。大晦日の夜・・・ 寺田寅彦 「どんぐり」
出典:青空文庫