発端 肥後の細川家の家中に、田岡甚太夫と云う侍がいた。これは以前日向の伊藤家の浪人であったが、当時細川家の番頭に陞っていた内藤三左衛門の推薦で、新知百五十石に召し出されたのであった。 ところが寛文七年の・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・余が博士を辞退した手紙が同じく新聞紙上で発表されたときもまた余は故旧新知もしくは未知の或ものからわざわざ賛成同情の意義に富んだ書状を幾通も受取った。伊予にいる一旧友は余が学位を授与されたという通信を読んで賀状を書こうと思っていた所に、辞退の・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・島原征伐のとき、子供五人のうち三人まで軍功によって新知二百石ずつをもらった。この弥一右衛門は家中でも殉死するはずのように思い、当人もまた忠利の夜伽に出る順番が来るたびに、殉死したいと言って願った。しかしどうしても忠利は許さない。「そちが志は・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・久野は丹後の国において幽斎公に召し出され、田辺御籠城の時功ありて、新知百五十石賜わり候者に候。矢野又三郎介錯いたし候。宝泉院は陣貝吹の山伏にて、筒井順慶の弟石井備後守吉村が子に候。介錯は入魂の山伏の由に候。 某はこれ等の事を見聞候につけ・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
出典:青空文庫