・・・ 世間は、春風に大きく暖く吹かるる中を、一人陰になって霜げながら、貧しい場末の町端から、山裾の浅い谿に、小流の畝々と、次第高に、何ヶ寺も皆日蓮宗の寺が続いて、天満宮、清正公、弁財天、鬼子母神、七面大明神、妙見宮、寺々に祭った神仏を、日課・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・円福寺というは紅葉の旧棲たる横寺町の、本との芸術座の直ぐ傍の日蓮宗の寺である。この寺の先々住の日照というが椿岳の岳母榎本氏の出であったので、俗縁の関係上、明治十七、八年ごろ本堂が落成した時、椿岳は頼まれて本堂の格天井の画を描いた。 椿岳・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・いそいそとして、長風呂にはいり、退屈まぎれに、湯殿へやって来る浴客を掴まえては、世間話、その話の序でには、どこそこでよく効く灸をやっている、日蓮宗の施灸奉仕で、ありがたいことだ、げんにわたしもいま先……と、灸の話が出ることは必定……と、可哀・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・しかし日蓮宗の教徒ならぬわれわれにとっては、その教理がここで主なる関心ではなく、彼の信念、活動の歴史的意義、その人格と、行状と、人間味との独特のニュアンスとが問題なのである。 日蓮の性格と行動とのあとはわれわれに幾度かツァラツストラを連・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 三郎は父の葬儀を近くの日蓮宗のお寺でいとなんだ。ちょっと聞くと野蛮なリズムのように感ぜられる和尚のめった打ちに打ち鳴らす太鼓の音も、耳傾けてしばらく聞いていると、そのリズムの中にどうしようもない憤怒と焦慮とそれを茶化そうというやけくそ・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ 音楽の最も簡単なものを取ってみると、それは日蓮宗の太鼓や野蛮人の手拍子足拍子のようなもので、これは同一な音の律動的な進行に過ぎない。これよりもう少し進歩したものになると互いに音程のちがった若干種類の音が使われるようになって、そこにいわ・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
一 古典摂取の態度 この間、ある人に会ったら、こういう話が出た。どこかの宴会でその人が日蓮宗の坊さんに逢ったら、その坊さんが、この頃では私共も古事記なんかをよまないとものが云えないようになりました。五・・・ 宮本百合子 「文学上の復古的提唱に対して」
・・・当時の宗教としては、禅宗や浄土真宗や日蓮宗などが最も有力であった。しかし日本の民衆のなかに、苦しむ神、死んで蘇る神というごとき観念を理解し得る能力のあったことは、疑うべくもない。そういう民衆にとっては、キリストの十字架の物語は、決して理解し・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・たとえば、日蓮宗や念仏宗におけるディオニゾス的な、宗教的歓喜のごとき、その著しい例である。しかし後に現われたものがかなり強く実践的であるに反して、上代のものは特に明瞭に芸術的であった。この密接な芸術と宗教との結合が、偶像崇拝に対してきわめて・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫