・・・ 日永の頃ゆえ、まだ暮かかるまでもないが、やがて五時も過ぎた。場所は院線電車の万世橋の停車場の、あの高い待合所であった。 柳はほんのりと萌え、花はふっくりと莟んだ、昨日今日、緑、紅、霞の紫、春のまさに闌ならんとする気を籠めて、色の濃・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・過日長六爺に聞いたら、おいらの山を何町歩とか叔父さんが預かって持っているはずだっていうんだもの、それじゃあおいらは食潰しの事は有りあしないじゃあないか。家の用だって随分たんとしているのに、口穢く云われるのが真実に厭だよ。おまえの母さんはおい・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ただ春の日永の殿上の欄にもたれて花散る庭でも眺めているような陶然とした心持になった。 すべての音楽がそうであるか、どうか、私には分らない。しかし、どうもこの管弦楽というものは、客観的分析的あるいは批評的に聴くべきものではなくて、ただこの・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・その中には、花散ればまぢりて飛びぬ我心 得も忘れ得ぬ君のかたへに悲しめる心と目とをとぢながら なほうらがなし花の散る中かなしめばかなしむまゝにくれて行く 春の日長のうらめしきかななどと細い筆でこまかい紙にかいては白銀・・・ 宮本百合子 「錦木」
出典:青空文庫