・・・新蔵はやっと長い悪夢に似た昏睡状態から覚めて見ると、自分は日本橋の家の二階で、氷嚢を頭に当てながら、静に横になっていました。枕元には薬罎や検温器と一しょに、小さな朝顔の鉢があって、しおらしい瑠璃色の花が咲いていますから、大方まだ朝の内なので・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・医師は昏睡が来る度毎に何か非常の手段を用いようかと案じているらしかった。 昼過きになると戸外の吹雪は段々鎮まっていって、濃い雪雲から漏れる薄日の光が、窓にたまった雪に来てそっと戯れるまでになった。然し産室の中の人々にはますます重い不安の・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・去年の秋だったかしら、なんでも青井の家に小作争議が起ったりしていろいろのごたごたが青井の一身上に振りかかったらしいけれど、そのときも彼は薬品の自殺を企て三日も昏睡し続けたことさえあったのだ。またついせんだっても、僕がこんなに放蕩をやめないの・・・ 太宰治 「葉」
・・・あの青年が立っていた。 さちよは少し笑いかけて、そのまま泣き出し、青年の胸に身を投げた。「かえりましょう。僕には、なんのことやら、わけがわかりません。」 この人だ。あの昏睡のときの、おぼろげな記憶がよみがえって来た。あのとき私は・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・糖尿が悪化すると下痢をつづけてそのまま昏睡してしまいになることがあり、万一スエ子がその初りでは大変ということであったのだそうです。いい塩梅に糖も減っている由です。つやつやして、よく眠った顔をして「お姉様どうした?」と入って来た。これで一〔中・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・そして、監房の中で昏倒し、昏睡状態で家へ運ばれた。 二日ほどして意識が恢復しはじめた。最初の短い覚醒の瞬間、ひろ子は奇体な、うれしいものを見た。それは、自分に向って心から笑っている吉岡の顔であった。吉岡が、特徴的に太い眉根をうごかして、・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫