・・・「ええ、一時間ばかり前に立ってしまいました。もっとも馬ならば一匹いますが。」「どこの馬かね?」「徳勝門外の馬市の馬です。今しがた死んだばかりですから。」「じゃその馬の脚をつけよう。馬の脚でもないよりは好い。ちょっと脚だけ持っ・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・父は蒲団の左角にひきつけてある懐中道具の中から、重そうな金時計を取りあげて、眼を細めながら遠くに離して時間を読もうとした。 突然事務所の方で弾条のゆるんだらしい柱時計が十時を打った。彼も自分の時計を帯の間に探ったが十時半になっていた。・・・ 有島武郎 「親子」
・・・「もう時間だ。」フレンチは時計を出して一目見て、身を起した。 出口のところで、フレンチが靴の上に被せるものを捜しているときになって、奥さんはやっと臆病げに口を開いた。「あなた御病気におなりなさりはしますまいね。」 フレンチは・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・クサカも次第に別荘の人の顔を覚えて、昼食の前半時間位の時になると、木立の間から顔を出して、友情を持った目で座敷の方を見るようになった。その内高等女学校に入学して居るレリヤという娘、これは初めて犬に出会った娘であったが、この娘がいよいよクサカ・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・室だけならまだ可いが、食事の時間になったらボーイを寄こしてとうとう食堂まで引張り出された。あんなに不愉快な飯を食ったことはない。B それは三等の切符を持っていた所為だ。一等の切符さえ有れあ当り前じゃないか。A 莫迦を言え。人間は皆赤・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ 立花は、座敷を番頭の立去ったまで、半時ばかりを五六時間、待飽倦んでいるのであった。(まず、可 と襖に密と身を寄せたが、うかつに出らるる数でなし、言をかけらるる分でないから、そのまま呼吸を殺して彳むと、ややあって、はらはらと衣の・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・一喝した。そうしてその一喝した自分の声にさえ、実際は恐怖心が揺いだのであった。雨はますます降る。一時間に四分五分ぐらいずつ水は高まって来る。 強烈な平和の希望者は、それでも、今にも雨が静かになればと思う心から、雨声の高低に注意を払うこと・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・お君さんとその弟の正ちゃんとが毎日午後時間を定めて習いに来た。正ちゃんは十二歳で、病身だけに、少し薄のろの方であった。 ある日、正ちゃんは、学校のないので、午前十一時ごろにやって来た。僕は大切な時間を取られるのが惜しかったので、いい加減・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 早速社へ宛てて、今送った原稿の掲載中止を葉書で書き送ってその晩は寝ると、翌る朝の九時頃には鴎外からの手紙が届いた。時間から計ると、前夜私の下宿へ来られて帰ると直ぐ認めて投郵したらしいので、文面は記憶していないが、その意味は、私のペン・・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・「油ばかりお前のものであれば本を読んでもよいと思っては違う、お前の時間も私のものだ。本を読むなどという馬鹿なことをするならよいからその時間に縄を綯れ」といわれた。それからまた仕方がない、伯父さんのいうことであるから終日働いてあとで本を読んだ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
出典:青空文庫