・・・統計を取ってみたわけではないが、試みに枕詞の語彙を点検してみると、それ自身が天然の景物を意味するような言葉が非常に多く、中にはいわゆる季題となるものも決して少なくない。それらが表面上は単なる音韻的な連鎖として用いられ、悪く言えば単なる言葉の・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・芭蕉の句の中で単に景物を詠じたような句でありながら非常になまなましい官能的な実感のある句があるのは人の知るところであろう。これは彼の万象に対する感情が恋情に類したものであった事を物語るであろうと思われる。しかし彼は恋の本情を認識して恋の風雅・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・このような差別の起こった一つの原因は、俳句の詩形が極度に短くなったために、もし直接な主観を盛ろうとすると、そのために象徴的な景物の入れ場がなくなってしまうので、そのほうを割愛して象徴的なものに席を譲るようになり、従って作者の人間は象徴の中に・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・その重苦しい何かしら凶事を予感させるような単調な音も、夕凪の夜の詩には割愛し難い象徴的景物である。 東京という土地には正常の意味での夕凪というものが存在しない。その代りに現れる夏の夕べの涼風は実に帝都随一の名物であると思われるのに、それ・・・ 寺田寅彦 「夕凪と夕風」
・・・が各二あるが、そのほかにもいろいろの景物が点綴され、ほととぎすや白雲や汽車やブリキや紙や杉木立ちやそういうものの実感が少しずつ印象され、また動作や感覚の上でもだいぶ変化が見えている。また毎句にある「月」でも一首の頭からおわりまでいろいろの位・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・其葦の枯葉が池の中心に向つて次第に疎になつて、只枯蓮の襤褸のやうな葉、海綿のやうな房が碁布せられ、葉や房の茎は、種々の高さに折れて、それが鋭角に聳えて、景物に荒涼な趣を添へてゐる。此の bitume 色の茎の間を縫つて、黒ずんだ上に鈍い反射・・・ 永井荷風 「上野」
・・・遅桜もまだ散り尽さぬ頃から聞えはじめる苗売の声の如き、人はまだ袷をもぬがぬ中早くも秋を知らせる虫売の如き、其他風鈴売、葱売、稗蒔売、朝顔売の如き、いずれか俳諧中の景物にあらざるはない。正月に初夢の宝船を売る声は既に聞かれなくなったが、中元に・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・日本の旅館にはそれに優るとも敢て劣らぬ同じ蒲団の気味悪さに、便所とそれから毎朝顔を洗う流し場の不潔が景物として附加えられてある。 便所の事はいうまい。もしこれが自分の家であったら、見知らぬ人に寝起のままの乱れた髪や汚れた顔を見せずとも済・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・道具の汚いのと、役者の絶句と、演芸中に舞台裏で大道具の釘を打つ音が台辞を邪魔することなぞは、他では余り見受けない景物である。寒い芝居小屋だ。それに土間で小児の泣く声と、立ち歩くのを叱る出方の尖り声とが耳障りになる。中幕の河庄では、芝三松の小・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・しかしわたくしは隅田川の蒹葭を説いて適レニエーの詩に思及ぶや、その詩中の景物に蒹葭を用いたものの尠からぬことを言わねばならない。 ヂェー・ワルクの編輯した『仏蘭西現代抒情詩選』の中、レニエーの部の冒頭に追憶の意を唱った Vers le ・・・ 永井荷風 「向嶋」
出典:青空文庫