・・・ 赤穂の城を退去して以来、二年に近い月日を、如何に彼は焦慮と画策との中に、費した事であろう。動もすればはやり勝ちな、一党の客気を控制して、徐に機の熟するのを待っただけでも、並大抵な骨折りではない。しかも讐家の放った細作は、絶えず彼の身辺・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・「それがそうでなかったら、私だって、とうの昔にもっと好い月日があったんです。」 それが、所謂片恋の悲しみなんだそうだ。そうしてその揚句に例でも挙げる気だったんだろう。お徳のやつめ、妙なのろけを始めたんだ。君に聞いて貰おうと思うのはそのの・・・ 芥川竜之介 「片恋」
・・・ その、もの静に、謹みたる状して俯向く、背のいと痩せたるが、取る年よりも長き月日の、旅のほど思わせつ。 よし、それとても朧気ながら、彼処なる本堂と、向って右の方に唐戸一枚隔てたる夫人堂の大なる御廚子の裡に、綾の几帳の蔭なりし、跪ける・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・……貴殿はいい月日の下に生れたな、と言わねばならぬように思う。あるいは一度新橋からお酌で出たのが、都合で、梅水にかわったともいうが、いまにおいては審でない。ただ不思議なのは、さばかりの容色で、その年まで、いまだ浮気、あらわに言えば、旦那があ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・三月の間は長いとも短いともいえる、悲しく苦しく不安の思いで過ごさば、わずか百日に足らぬ月日も随分長かった思いがしよう。二人にとってのこの三月は、変化多き世の中にもちょっと例の少ない並ならぬ三月であった。 身も心も一つと思いあった二人が、・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・れたのを押えて止をさし死がいを浮藁の下にしずめそうっと家にかえったけれ共世間にはこんな事を知って居る人は一人もなくその後は家は栄えて沢山の牛も一人で持ち田畠も求めそれ綿の花盛、そら米の秋と思うがままの月日を重ねて小吟も十四になって美しゅう化・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・、などは、井筒屋のお貞(その時は、まだお貞の亭主の思いやりで、台どころ道具などを初め、所帯を持つに必要な物はほとんどすべて揃えてもらい、飯の炊き方まで手を取らないまでにして世話してもらったのであるが、月日の経つに従い、この新夫婦はその恩義を・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・イテ、文芸倶楽部ノ末ノ方ニアルヨウナ端唄ヲツクッテ、竹富久井アタリニ集会シテイマシタラ、モウ一倍ラクナ事ダロウト思イマス近ゴロノ私ノ道楽ハ、何デモオモイ浮ンダコトヲ書ツケテオイテ、ソレガドレダケノ月日ヲ経タラ、フルクナルカト申スコトヲ試・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 月日は、ちょうど、うす青い水の音なく流れるように、去るものです。のぶ子は、十歳になりました。そして、頭を傾けて、過ぎ去った、そのころのことを思い出そうとしましたが、うす青い霧の中に、世界が包まれているようで、そんなような姉さんがあった・・・ 小川未明 「青い花の香り」
・・・そして、長い間、その獄屋のうちで月日を送ったのだ。たまたま月の影が、窓からもれると、その月を見て遠い海のかなたのふるさとをしのんだ。ある晩のこと、三人は、その窓から逃げ出した。そして、ようようの思いで、助かってここまで逃げてきたのだ。」と、・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
出典:青空文庫