・・・当時私は大学の講師をして月給三十五円とおやじからの仕送りで家庭をもっていたのである。かくして幼稚なるアマチュアはパトロンを得たのである。その後自分の書いたものについて、夏目先生から「今度のは虚子がほめていたよ」というような事を云われて、ひど・・・ 寺田寅彦 「高浜さんと私」
・・・高が少尉の月給で女房を食わして行けようがねえ。とまあ恁云う返答だ。うん、然うだったか。それなら何も心配することはねい。どんな大将だって初めは皆な少尉候補生から仕上げて行くんだから、その点は一向差閊えない。十分やって行けるようにするからと云う・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・先生はこれからさき、日本政府からもらう恩給と、今までの月給の余りとで、暮らしてゆくのだが、その月給の余りというのは、天然自然にできたほんとうの余りで、用意の結果でもなんでもないのである。 すべてこんなふうにでき上がっている先生にいちばん・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
・・・親父が無理算段の学資を工面して卒業の上は月給でも取らせて早く隠居でもしたいと思っているのに、子供の方では活計の方なんかまるで無頓着で、ただ天地の真理を発見したいなどと太平楽を並べて机に靠れて苦り切っているのもある。親は生計のための修業と考え・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・』『だけども、徴兵で為方がなしになった軍人よ。月給を貰って妻子を養ってる、軍人とは違うんでしょう。貴方は家の相続人ですわ。お国には阿母さんが唯ッた一人、兄さんを楽しみにして待ってらッしゃるでしょう。仙台は仙台で、三歳になる子まである嫂さ・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・この外国人は莫大なる月給を取りて何事をなすか。余輩、未だ英国に日本人の雇われて年に数千の給料を取る者あるを聞かず。而して独り我が日本国にて外人を雇うは何ぞや。他なし、内国にその人物なきがゆえなり。学者に乏しきがゆえなり。学者の頭数はあれども・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ されば官吏が職を勤むるの労に酬いるには月給をもってし、数をもっていえば、百の労と百の俸給とまさしく相対して、その有様はほとんど売買の主義に異ならず。この点より論ずるときは、仕官もまた営業渡世の一種なれども、俸給の他に位階勲章をあたうる・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・なぜって巡査なんてものは実際月給も僅かですしね、くらしに困るものなんです。」「なるほどねえ、そりゃそうだねえ。」「ところがねえ、次が大へんなんですよ、耕牧舎の飼牛がね、結核にかかっていたんですがある日とうとう死んだんです。ところが病気の・・・ 宮沢賢治 「バキチの仕事」
・・・いくら、待遇改善しても、月給は物価に追いつく時は決してない。これがインフレーションの特徴である。めいめいの財布は空となって、遂にほうり出されている形である。闇の循環で、細々生きているような生命の扱いかたをどんな婦人がよろこばしいと思うだろう・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・そこで判事試補の月給では妻子は養われないと、一図に思っていたのだろう。土地が土地なので、丁度今夜のような雪の夜が幾日も幾日も続く。宮沢はひとり部屋に閉じ籠って本を読んでいる。下女は壁一重隔てた隣の部屋で縫物をしている。宮沢が欠をする。下女が・・・ 森鴎外 「独身」
出典:青空文庫